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【「この人」対談】「豊田の演劇~石黒氏と語る現在豊田演劇史、豊田の演劇のこれから~」ゲスト/石黒秀和氏(劇作家/演出家 とよた演劇協会会長)2019.9特集

TAPポータルサイトでは、毎月1つテーマを設定して、「この人」対談、インタビュー、レポート、コラムなどを集中して掲載していきます。
2019年9月のテーマは「とよたの演劇」。インタビューやコラムなど様々なコンテンツを掲載します。

特集のメインコンテンツは、TAPの先駆事業<TAG>からの継承企画、石黒秀和・清水雅人がとよたの文化芸術に関するキーマンと対談する「この人」です。
様々なお話を伺った模様を動画撮影、基本的にノーカットで公開します。
また、対談を要約した文字コンテンツも掲載します。

今月の「この人」はいつもはホストを務める、劇作家/演出家の石黒秀和氏をゲストに迎え、石黒氏のこれまでの豊田演劇界との関わりと、これからの展望・課題などについてなどのお話を伺いました。
また、冒頭にあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」中止問題についても議論しています。

文字コンテンツでは掲載しきれないお話もたくさんしています、2時間弱に及ぶ対談ですが、どうぞ動画もご覧ください!

「豊田の演劇~石黒氏と語る現在豊田演劇史、豊田の演劇のこれから~」ゲスト/石黒秀和氏(劇作家/演出家 とよた演劇協会会長)2019.9特集

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※動画はYouTubeにて公開されています。無料で視聴いただけます。

 

対談の要約文字コンテンツ(文責:清水雅人)

2時間弱の映像を見る時間を割くのが難しい方のために、「この人」対談の文字起こし(要約版)をお送りします。
今月のテーマは「豊田の演劇」。開催中のあいちトリエンナーレのテーマが演劇/パフォーミングアーツであり、TAP MAGAZINEとも連携して、演劇を中心に取り上げてますが、「この人」対談では、いつもは「この人」対談のホストでありつつ、長年豊田の演劇界で中心的な役割を果たしてきた石黒秀和氏をゲストに迎え、豊田の演劇のこれまでとこれからのお話を聞きました。

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止問題と表現の自由について
本題に入る前に、トリエンナーレ開幕直後にニュース等をにぎわせた「表現の不自由展」中止の問題についてそれぞれ意見を述べた。
石黒氏は、自分は演劇に長く関わっており、文化とか芸術という切り口で活動している身としては、はやり今回の中止は残念だなと思っている。表現の自由の問題でもあるし、もっと言えば憲法も絡んでくる問題だが、一方、表現の自由について実はなかなか一般の人に危機感が届きづらいな…と感じたことも確かだ、と語る。
清水は、表現の自由報道の自由は民主国家が保証する自由の中の一丁目一番地と言われているわけだが(その自由がなければ権力がそもそも何をしているかがわからなくなる、不正と指摘することすらできなくなるから)、そういう表現の自由とは何かという議論をスルーして、安心安全の問題だけでお茶を濁してしまっている印象がある。マスメディアも腰が引けていて「中止すべきじゃなかった」「中止もしょうがない」の両論を街角インタビューなどで併記して終わらせていたところが多かったように思う。表現の自由と権力の関わり方は本当は非常にセンシティブな問題であって、例えばこのとよたアートプログラムについても、前身の<TAG>は行政と距離を置いてやろうというのが当初のコンセプトだったくらいで、豊田市の事業となるとよたアートプログラムに継承するのはそれなりの決断だったと思っており、例えばこの動画についてでも行政より「そういうことは言わないで欲しい」という圧力がかかる可能性は常にあるわけで(実際はないですが)、表現の自由とは実は身近な問題でもあり、深い議論はいくらでもできるはずだが、それを避けてしまっているなぁと。某市長の発言、こんなものに補助金は出せないというのは明らかに表現の自由を侵していているのだがそれをノーと言えない、そもそも我々市民が表現の自由とは何かをよく理解してない、表現の自由という言葉は社会の時間に覚えたけれども、それがどういうことなのかという教育も受けてきていないのではということも改めて感じた。
石黒氏は、日本は民主国家であり立憲国家だと、特に戦後は社会もそれを基本に形作られてきたと思っていたけれども、70年以上経っても実は変わってないということが図らずも露呈したなぁと、驚きというか、自分たちは日本が民主国家だと思ってきたし、そうではない国を批判したりしてきたけれど、まだこの国もそこまで成熟してないんだなと感じた、と語る。ただし、表現の自由についてのみで語ってもよくないと思うし、表現の自由だからといってなんでも許されるわけではないのは確かであって、いろんな切り口の議論が必要だと思うし、少なくとも中止にする前にそういう議論、ディスカッションが必要だったと思う。が行政の立場に立てば今回の対応はいたしかたないとも思う…。
(以下もっと話していますが省略します、詳しくは映像をご覧ください)
いずれにせよ、うやむやにして終わらせずに今回のことを機にいろんな場所で、いろんな場面で議論して欲しいし、表現の自由の問題を考えて欲しいと思う。

石黒氏のこれまで① シナリオライター志望~富良野塾
それでは本題に戻って。本コーナーの恒例だが、まずはゲストのこれまでの軌跡を聞いた。
石黒氏は、豊田にて1969年生まれ(筆者と同い年である)、最初はシナリオライターになりたかったとのこと。きっかけで一番影響を受けたのはテレビドラマの「北の国から」だった。ただし、連続ドラマの時ではなく、スペシャルの「北の国から’87初恋」を観てだった。このドラマは「脚本倉本聰」がドーンと出ていて、当時脚本家の名前が大きく出るドラマを見たことがなかったので、倉本聰っていったい何者?と思った記憶がある。それで倉本聰氏のシナリオ集を読んだところ、そこにはセリフだけでなく、演者の動き等を指示するト書きやストーリーまでも綿密に書かれていて、言葉や物語を作り出しているのは脚本家なんだと思った。
それ以前は監督というかアニメーターになりたくて、そのきっかけは宮崎駿が好きで、当時一番好きだったのが「未来少年コナン」だったが、他にも「アルプスの少女ハイジ」や「ルパン三世」など面白いと思うテレビアニメには必ず宮崎駿の名前があり、そして「風の谷のナウシカ」の大ヒットがあった。だから、アニメーターになりたいというより宮崎駿になりたいと思っていた。しかし、宮崎駿になるには絵が描けないといけない、でも自分は絵は描けない…(笑)、なら監督になろう、スピルバーグ映画も好きだったので、映画監督になろうと思っていた。そこで倉本聰との出会いがあった。
倉本聰氏はラジオの世界からテレビの創成期を支えた脚本家で「前略、おふくろ様」など数々のテレビドラマ・映画の脚本を手掛けていたが、いろんなトラブルもあり東京を去って北海道(当初は札幌、そして富良野)を拠点に活動を始める。「北の国から」はそうした経緯から生まれたドラマで、これも大ヒットした。(倉本聰は現在放映中のテレビ朝日系昼帯ドラマ「やすらぎの刻〜道」の脚本も手掛けている)
高校2年生の終わりに「北の国から’87初恋」を観て心酔…後にも先にも心酔と言えるのはこの時だけだと思う。それまで進路は芸術系の大学又は映画の専門学校を考えていたが、倉本聰氏の本を読みまくり、富良野富良野塾という私塾を始めたらしい、そこは授業料もいらない、自給自足で昼間は畑や牧場で働き、夜にシナリオや演劇の勉強を共同生活しながらやっていくというようなことが書いてあって、授業料はなし、倉本聰に直接脚本を学べる、ドラマで観たあのきれいな富良野に行ける、もしかしたら出演者にも会えるかもしれない、もう行くしかない!と思って、でも住所もわからないので、本に書いてあった“富良野から車で30分・・・の富良野塾宛”と封筒に書いて、「富良野塾に入りたい」って手紙を出した(笑)。しばらく返事はなかったが、忘れた頃に返事が来て、入塾試験があるのでそれを受けなさい、と。それで試験を2回受けて合格し、入塾した。
(その辺り面白い話を色々してますが省略します、映像をご覧ください)
富良野塾での生活は、昼間は富良野塾周辺の農家や牧場にアルバイトに行ってお金を稼ぎ、夜に稽古やシナリオの勉強をした。夏場は倉本聰氏の講義は週に1~2回あった。農閑期になると雪に埋もれてしまうので、みんなで貯めたお金で芝居を作った。
富良野塾は2年間で、修了後は多くのシナリオコースの先輩はテレビ局等に入っていた。しかし、石黒氏は別にテレビ局に入りたくて富良野塾に行ったわけではないので、終了後のことはあまり考えてなかった。そんな中先輩でカナダに1年ワーキングホリデーを使って留学していた人がいて、また富良野塾がカナダ・ニューヨーク公演をすることも決まっていて、社会勉強も兼ねて行ってこいと言われ行くとこになった。当時倉本聰氏も、これからは地方と世界を同時に見ていく時代になる、東京だけを目指す時代は終わるというようなことも言っていたと思う。
1年間カナダで生活し、1年が終わるところで富良野塾のカナダ・ニューヨーク公演に同行して裏方のお手伝いをして、一緒に日本に帰ってきた。

石黒氏のこれまで② とよた市民創作劇との関わり
東京に出て来いよと言ってくれる先輩もいて、だた元手がないので、地元でアルバイトしてお金を貯めたら上京しようと思っていた。
ちょうどその頃、とよた市民創作劇というのがあると聞いて、妹と観に行った。それが市民創作劇の1回目だった(1992年)。その時は「豊田でもこういうのやってるんだ~」くらいだった。富良野塾の全国公演の照明スタッフを翌年やることになり、上京するのを保留して地元にいたところ、どうも妹が市民創作劇のアンケートに「うちの兄は富良野塾でシナリオを学んでいて~」みたいなことを書いたようで(笑)、当時の文化協会(現文化振興財団)から連絡があり、市民創作劇のシナリオを公募しているが、なかなか集まらないので、シナリオ書いてみないかと。それで「まあ、いいですよ」と。来年は全国公演に行ってしまうので書くだけならやれるなと。
でも、どうせなら全国公演に行くまででいいので演出もやらないか、出演者も出そろっているので、と言われて、それならと公演は11月だったのでまだ先だったけど、春に2か月くらいで一応芝居を完成させて、富良野塾の全国公演に同行した。それが市民創作劇の第2回で、公演は観ていないが、冬に帰ってきたら評判がよかったと、ついては次もやらないかと誘われ、公演でのお客さんの反応も観てないし、もう少し上京を遅らせてもう1回だけやりましょうとなり、そこからズルズルと…(笑)、もう1年もう1年という感じでずっと豊田にいることになって(笑)。
もともと映像のシナリオライター志望だったわけだが、富良野塾で舞台公演をしていて始めて舞台と出会っていたし、また富良野塾での具体的な講義の1つに、倉本聰氏から“笑い”とか“怒り”というようなテーマが出されて5分程度のシナリオを書き、それを演出して観てもらい、色々指導を仰ぐということもやっていたので、自然に演出も学んでいた。
その頃はもう上京するつもりはなかったのか?の問いに石黒氏は、当時Vシネマ全盛でそのシナリオの仕事や、構成の仕事もちょくちょく入っていて東京に行かなくてもやれなくはないな、市民創作劇で舞台を作り上げていくのも楽しいし、両立してやっていけるかなという思いがあったと思う、やっぱり東京に行かねばとか、地元に腰を据えてとかをどちらかに決めるという感じではなかったと思う、と語る。

石黒氏のこれまで③ 豊田に腰を据えて
とよた市民創作劇は10年を区切りに終了したが(2001年)、石黒氏も市民創作劇に長年関わってきたことで人間関係や悩みの相談を受けることも多くなってしまい、純粋に芝居作りがしたいという想いもあった。その頃には結婚もしたということもあり、上京して…という気持ちはもうなかったと思うが、青少年活動協会にすでに入っていたので、まちづくり、地域振興等にも少しずつ関わってきていて、豊田をフィールドに、芝居だけでなく若い人をいかに楽しませるか盛り上げるか、という視点を持ちつつあったと思う。
その後2003年と2006年にとよた市民野外劇が豊田スタジアムで開催された。
(市民野外劇についても省略します、映像をご覧ください)

とよた市民野外劇の時に“市民”と言いながら裏方で動いているのは市や文化振興財団の職員で、市民の色んな会が参加していたが口は出すが動かない状況で、一体何なんだと、やっぱりみんなで舞台作りをしたい、そのためには人材の育成が必要だと、市民創作劇の時にはそういう視点はなかったが、そういう想いからとよた演劇アカデミーの発想に至った。
演劇アカデミーとは銘打っているが、演劇に限定せずイベントを支える人材、公演をプロデュースできる人材、制作スタッフを育成していきたい、ここで富良野塾での経験も生かして、1年の内の前半は舞台芸術に関するいろんな講師の講義を聞き、後半で芝居を1本作っていくというスタイルで2008年にスタートした(2008年~2017年まで10期続いて終了)。
石黒氏は、それまで市民創作劇も野外劇も依頼があって受けたもので、いわば頼まれ仕事だったが、演劇アカデミーは初めて自分から各方面に相談して、自分から始めたことだったと語る。

豊田の演劇これまでの10年とこれからの10年
やっと本題になるが(笑)、これまでの2010年代~現在までのこれからの10年について聞いた。
とよた演劇アカデミーについては、プロデュ―サー的人材、つまり自分の好きな芝居を作るだけでなく、豊田の文化芸術という視点も持ちながらキーマンになっていく人材は、10年で1人か2人出れば大成功だと思って始めた。演劇アカデミー修了生は10年で200人以上いるが、その中からそういう人材は1人2人よりは多く出てきたと思っている。それが多いと捉えるか少ないと捉えるかは人それぞれだと思うし、また、もう少し技術的な専門性を持った人材の育成も必要だったのではと言われれば確かにそうだとも言わざるを得ないが、1つの目的は達成したと思っている。
また、2017年に設立されたとよた演劇協会についても聞いた。
とよた演劇アカデミーと並行して、T-1演劇バトルを5年やり、それを引き継いでとよた演劇祭も立ち上がった。主に演劇アカデミーの修了生たち、アカデミーから各期の修了生で立ち上げた劇団の活躍の場として作ったものだが、どうして横のつながりが薄くなっていくなと、それと豊田の演劇人材はアカデミー修了生だけではないので、外に開かれた組織も必要だと、そういう観点でゆるやかな横のつながりを持つ、会費も取らず、主催事業をするわけでない組織としてとよた演劇協会を立ち上げた、とのこと。

とよた演劇アカデミーを10年やり(その後とよた演劇ファクトリーが継承中)、その中でT-1演劇バトル~とよた演劇祭が立ち上がり継続していて、また演劇人材のゆるやかな共同体として、及び演劇アカデミー人材以外の人も関われる窓口としてとよた演劇協会を立ち上げた、という10年であり、10年前の狙い以上の成果があったと言っていいと思う。
では、これからの10年を考えた場合、石黒氏は、でもすべてが順調でこの先も大丈夫だとはいえない、と言う。演劇は続けていくことが大変なジャンルでもある。舞台を打つには長い稽古期間が必要だし、制作的な労力もかかる。その中で例えば仕事や結婚などを通して演劇を続けていくのは確かに難しい。この10年で出てきた人材がそれらを乗り越えてキーマンであり続けることができるか決して楽観視はできないと思っているが、具体的な名前は言わないが片手以上のキーマンになっていく人材が現時点でもいると思っているので、頑張っていって欲しい。
一方で、才能がある人が、燃え尽きちゃうとか、疲れちゃって5年くらいで演劇から離れていくのはさみしいし、なんとかならないかという想いは個人的にもある。そういう中で、美術館での群読劇やなるべく少ない稽古で参加できる市民劇等の機会を作れないかと自分としては模索している段階でもある。
そういう流れでいうと、やはり“場”が必要というところに行きつく。小劇場が1つでもあると、爆発的とは言わないまでも、盛り上がりが作られていくと思うし、そこを拠点に活動を続けていける団体、個人が必ず現れてくると思っている。
ホールでなくていい、空間があればいい、キャパ50~100で十分だし、若い人たちが大きなお金がなくても公演が打てる“場”がやっぱり欲しいなと。
今の時代においては、それを行政に作れ作れと言っているだけではなく、民間の我々が場所探しからやっていかなくてはならないとも思っている。立派なものを作る必要はない、お金のかからない、管理のしやすいスペースでいいので作っていく必要があると。
音楽テーマの時にも言ったが、トップクラスの才能を持たなくても、しっかりと人々を楽しませるパフォーマンスができる人材が、食べられないからいう理由で辞めていってしまうのはやはりさみしいし、地方都市で小さなスペースでも生の演奏、生の演劇が気軽に観られて、演者も大金ではなくても続けていくだけの収入を得られてという幸せな循環ができていいと思うし、場は必要だと思う。
石黒氏も、市民の力で場や人を作っていき、行政もそれを支援していくという形を作りあげられるかというのがこれからの課題だと思う、と語る。
そのためには多くの人を楽しませることのできるコンテンツ作りを維持していかなくてはならないし、全国から豊田に芝居を見に来る状況にもなって欲しいと思うし、しかし自分も含めてそこまでの覚悟がまだないのも確かで、そういう覚悟を持った人材がこれから出てきて欲しい、でもそういうことを言えるところにはきている(10年前にそんなことを言ってもただの絵空事だった)、そういうことを考えられるところには来ているとも思う。

演劇とまちづくりについて
演劇・映像・音楽の中で考えると演劇が一番まちづくりというか公共/行政との親和性が強い印象があるが、その辺りについて石黒氏に聞いた。
石黒氏は、我々は芝居を作る時に「観る人を楽しませたい、感動させてたい」という想いで作っているが、それはまちづくりも一緒で、まちに訪れた人やそこで生活する人を楽しませたいという想いが基本だと思う、そういう意味で演劇とまちづくりは似ているし、自分もそういう視点でやってきた、と語る。
確かに、音楽については日本の伝統的な音楽やクラシック等とポップス/ロックで大きな断絶あり、ポップス/ロックはビジネスとして成立してきたということもあって公共との関わりは少なかったと思うし、映画も遅れてきた芸術でビジネスとして観るものであった時代が長ったが最近になって映画によるまちづくりという視点が入ってきた段階と比べると、演劇は遡れば村芝居や地歌舞伎の頃からまち、村、土地と密接にかかわってきた歴史が連綿とあり、西洋演劇が入ってきても伝統的な部分も相当残ってきたと思う。我々のひと世代上の人の中には、演劇は反体制でなくてはならないという人もいると思うが、もちろんそういう側面もあるが、長い歴史から見れば一時期のことなのかなと思う。
石黒氏は、現在豊田では、(合併地区ではあるが)農村舞台や地歌舞伎の活動、交流館単位では芝居や人形劇、朗読劇等のサークルも多数あり、演劇は市民にとっても身近なものになってきているのでは、と語る。
全国で考えれば、平田オリザ氏の存在は大きいのではないか、演劇と国づくり、まちづくり、場づくりを絡めていく、それまでは演劇好きが自分の好きなことをやっているだけという時代から、演劇がまちづくり、人づくりに繋がっていくということを理論づけ、発信していくということを平田氏が始め、我々全国の演劇人も共鳴していくという過程があったと思う。

石黒氏のこれから
最後に石黒氏個人のこれからについても聞いた。
ここでも言ったように、人を楽しませたいと思ってシナリオライターを目指したんであって、まちづくりをしたくて始めたわけではないので、とにかくまず楽しもうということで、とよた演劇部を作った、とのこと。自称40歳以上のおじさんばかり7人で、まずは自分たちが楽しむこと、結果的に作品ができればいいし、できなくてもいいくらいのスタンスで、まさに演劇を楽しむ部活動として始めた。これは仕事や家庭を持ちながら演劇も続けていくという実験の場でもあると思っている。
50代に突入していく中で、活動の終わり方というのも考えるようになってきた。演劇作品を作るには時間がかかるものだし、あと何本作れるのかということを考えると1本1本の重みも出てくる。
やっといろんなところに対してものが言える立場、年代になってきたとも思うし、環境や場を作っていく責任もあると思っている。
まさに、これからの10年がこれまでの活動も含めた真価を問われる10年になると思っている。

(以下公演イベント紹介していますが省略します)
紹介している公演・演劇
第4回とよた演劇祭、ハイブリッドブンカサイⅡ、あいちトリエンナーレ ほか

 
ゲストプロフィール:
石黒秀和(いしぐろひでかず)
脚本家・演出家。豊田市出身。高校卒業後、富良野塾にて倉本聰氏に師事。豊田に帰郷後、豊田市民創作劇場、豊田市民野外劇等の作・演出、とよた演劇アカデミー発起人(現アドバイザー)ほか、多数の事業・演劇作演出を手掛ける。TOCToyota Original Company)代表、とよた演劇協会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員長。

ホーム - とよた演劇協会

ホストプロフィール:
清水雅人(しみずまさと)
映像作家・プロデュ―サ―。豊田市出身・在住。豊田市役所職員時代に市役所内に映画クラブを結成し、30歳の頃より映画製作を開始。映画製作団体M.I.F.設立、小坂本町一丁目映画祭主宰。2013年市役所を退職、独立し、映像制作、イベント企画、豊田ご当地アイドルStar☆T(スタート)プロデュースなどを手掛ける。豊田星プロ代表。映画「星めぐりの町」を実現する会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員。

豊田ご当地アイドルStar☆Tオフィシャルサイト

森かん奈(もりかんな)

今年6月~11月まで月刊発行中のフリーペーパーTAP MAGAZENE編集スタッフ。9月号では「みんなで巡る、トリエンナーレ」を構成。

関連動画 ※TAPの先駆事業<TAG>時代の対談映像です
「豊田の演劇 歴史と展望」(ゲスト岡田隆弘氏)

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<TAG>Toyota Art Gene:【コラム】<TAG>通信[映像版]第1回「豊田の演劇 歴史と展望/ゲスト岡田隆弘氏」要約と所感 清水雅人

 

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【編集部より】TAP MAGAZINE/とよたアートプログラムマガジン9月号発刊しました(9/1)

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本とよたアートプログラムポータルサイトの姉妹メディア「TAP MAGAZINE/とよたアートプログラムマガジン」の9月号が発刊しました。
9月号の特集は「演劇・デカスプロジェクト」。あいちトリエンナーレのパフォーミングアーツ豊田公演が控える劇団うりんこ+三浦 基+クワクボリョウタインタビュー、とよたデカスプロジェクト参加アーティストインタビューに加え、豊田の演劇についてのコラムも掲載しています。

CONTENTS
あいちトリエンナーレ2019 パフォーミング
アーツ 豊田公演 劇団うりんこ+三浦基+
クワクボリョウタ「幸福はだれにくる」
とよたデカスプロジェクト2019
コラム とよたの演劇 

ほか掲載しています。(上記はポータルサイトにも掲載)

https://www.toyotaartprogram.jp/tapmagazine

 

あいちトリエンナーレ豊田会場総合案内所、豊田市内外文化施設/公共施設、とよたまちなか店舗ほかにて配布中です。
どうぞお手に取ってみてください。
タブロイド判4ページ 無料 月刊

 

TAP MAGAZINE/とよたアートプログラムマガジンとは?
トリエンナーレだけじゃない!”豊田で行われている文化芸術関連の公演やイベント、関わる人たちを紹介するフリーペーパーです。
あいちトリエンナーレの開催の合わせ、2019年6~11月期間限定発行します。

【演劇】劇団・笑劇派旗揚げ21周年 無料招待公演 (8/18)

長年豊田を中心に全国で活動を続ける劇団・笑劇派は旗揚げ21周年無料招待公演を開催します。どうぞご来場ください!

情報元 旗揚げ21周年無料招待公演 | 特別公演 | 劇団・笑劇派

※内容は変更する場合があります。必ず情報元、主催者発表をご確認ください。

 

劇団・笑劇派旗揚げ21周年 無料招待公演 
【日時】令和元年8月18日(日)①10:30~12:00 ②14:30~16:00
【会場】産業文化センター 小ホール
【入場料】無料
【内容】劇の上演
問合せ先:劇団・笑劇派0565-77-5734
主催者:劇団・笑劇派

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【演劇・音楽】農村舞台アートプロジェクト2019「アートで蘇るとよたの農村舞台群」 藤岡歌舞伎「吉野山道行」、奥三河のプロ太鼓集団「志多ら」夢の舞台(8/17)

農村舞台アートプロジェクト2019「アートで蘇るとよたの農村舞台群」

ライブ2つ目は藤岡地区深見町の磯崎神社にて開催です。

情報元http://www.cul-toyota.com/

 

農村舞台アートプロジェクト2019「アートで蘇るとよたの農村舞台群」 藤岡歌舞伎「吉野山道行」、奥三河のプロ太鼓集団「志多ら」夢の舞台

全国的にも珍しい農村舞台という地域の文化財を活用し、地域発信のアートプロジェクトとして、様々な取組みを実施する。農村舞台を「ギャラリー」や「劇場」として見立て、展覧会やライブを地域住民と共働で開催する。
【日時】令和元年8月17日(土)18時開演
【会場】深見町磯崎神社(愛知県豊田市深見町大屋38番)※雨天:藤岡交流館(愛知県豊田市藤岡飯野町仲ノ下1040-1)
【内容】
藤岡歌舞伎:義経千本桜「吉野山道行」
和太鼓集団「志多ら」:花祭り「志多ら舞」ほか
【入場料】
1公演:1,000円
2公演セット券(深見町磯崎神社&西中山八柱神社):1,800円
※割引制度:あいちトリエンナーレ実行委員会が発行する「あいちトリエンナーレ 2019」国際現代美術展 1DAYパス及びフリーパス(特別先行前売、前売を含む)をご提示いただくと、1公演につき100円割引いたします
1公演:1,000円→900円、2公演セット券:1,800円→1,600円
取扱窓口:豊田市民文化会館、藤岡南交流館、藤岡交流館
問合せ:豊田市文化振興財団 文化事業課(豊田市民文化会館内) 開館時間:9時~21時 ※月曜休館 TEL:0565-31-8804
主催:(公財)豊田市文化振興財団
主管:農村舞台プロジェクトチーム
後援:豊田市豊田市教育委員会、(一社)ツーリズムとよた
協力:豊田市深見自治区

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【レポート・アート】あいちトリエンナーレ豊田会場を巡る/清水雅人 2019.8特集

8月1日あいちトリエンナーレが開幕した。あいちトリエンナーレは3年に一度開かれる国内最大級の芸術祭。2010年に第1回を開催し、今回が4回目。これまで名古屋を軸に岡崎、豊橋でも開催されてきたが、今回は名古屋市豊田市にて開催。
今回の芸術監督はジャーナリストの津田大介氏。テーマは「情の時代」。79組のアーティストが参加している。

筆者はアートは全くの専門外なので作品内容についての批評は他に譲るが、豊田会場の雰囲気や先入観のない眼で見た感想をレポートしたい。

豊田会場は、細かく言うと全部で8ヶ所に分かれる。豊田市美術館、美術館すぐ隣にある旧豊田東高等学校、豊田産業文化センター敷地内にある日本家屋喜楽亭、VITSの地下にある豊田市民ギャラリー、新豊田駅前に新しくできた新とよパーク、T-FACE前のシティプラザ(具体的にはサイゼリヤの屋上スペース)、名鉄豊田市駅下の空き店舗数か所(総合案内所もある)、そして豊田市民文化会館。市民文化会館は9月にある演劇の会場なので、筆者は開幕日8月1日に7ヶ所を巡った。

巡り方に正解はない、どのような順番でもいいかなと思うが、筆者はまずは豊田市美術館に行く。まず驚いたのはその混雑ぶりだ。駐車場もほぼ満車の状態。中に入ると多くの人が「クリムト展 ウィーンと日本1900」が目当てだとわかる。もちろん筆者もクリムト展も観る。

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豊田市美術館駐車場 連日混雑している

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豊田市美術館入口

ここで料金の話。
クリムト展とトリエンナーレのセット券があって当日2,000円(ただしトリエンナーレは豊田会場のみ)。ちなみにトリエンナーレのチケットは1DAYパスポートが1,600円、期間中何度でも行けるフリーパスが3,000円(いずれも一般当日、学生割引あり)、こちらは名古屋豊田全ての会場を観覧できる。
入場料について詳しい説明が見当たらないのでここでまとめるが、1DAYパスポート1,600円又はフリーパス3,000円で名古屋豊田全ての会場の観覧ができるが、実質豊田会場で入場券が必要なのは豊田市美術館のみであとの会場は無料、ただし豊田市美術館トリエンナーレ展示だけの入場料設定はなく、トリエンナーレ全体の1DAYパスポート又はフリーパスか、クリムト展とのセット券が必要、ということでいいだろうか?(間違っていたらご指摘ください)

なので、トリエンナーレ豊田会場も名古屋会場も観たい人はトリエンナーレ1DAYパスポートを購入、豊田会場だけを観たい人はクリムト展とのセット券を購入、クリムト展は特に観ないが、、、という人はトリエンナーレ豊田市美術館展示はあきらめる、、、の選択となる。
クリムト展のレポートは本題ではないが、圧倒的なボリュームの作品数、クリムトの生涯に関する資料等で見ごたえは十分ある。19世紀末~20世紀初頭という芸術においても大きな転換期にあった時代風景もよくわかる内容となっている。じっくりでなく回っても2~3時間はかかる展覧だった。今回日本でのクリムト展は東京と豊田のみということもあってか連日たくさんの来場があるもよう。来場には曜日や時期を図った方がいいかもしれない。

変わってトリエンナーレ展示はゆったりと観られる。美術館展示なのでどちらかというと写真や彫刻などのフォーマットが多いが現代美術らしい発想を飛ばす展示も多数あった。

そこからすぐ隣の旧東高校へ。ここではプールでの展示。高嶺格さんによる 「反歌:見上げたる 空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで」詳しい説明をするのはよそう。言葉で説明するほど陳腐なことはない。まずはその大きさに圧倒され、時空が歪むような感覚と爽快な感覚がなぜか入り混じる。ここはぜひ一度観に行って欲しい、豊田会場のクライマックスの1つと言える。

※写真はあえて載せない、圧倒的な存在感を実物で体験して欲しい。

 

その後喜楽亭、市民ギャラリーと回る。この2ヶ所はインスタレーション/映像作品がメイン。そこから、新とよパーク(暑い中ボランティアさんお疲れ様です)、シティプラザ、そして豊田市駅下を回る。豊田市駅下には総合案内所があり(豊田市駅改札から階段を下りてきた正面、ロッテリア隣)、展示はその裏手と駅下モール北側の空き店舗4ヶ所ほど。

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豊田市駅下の総合案内所

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VITS地下にある市民ギャラリー

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新とよパーク展示

筆者は非常に駆け足でめぐってしまったがかかった時間は3時間ほど。映像作品が多い印象だが、それらをじっくり観賞すると倍はかかるか。

今年の1~2月にプレトリエンナーレ、地域展開事業が豊田市でも開催され、今回と同じように豊田市駅周辺数か所で多数の展示があったのだが(今回のトリエンナーレと同じ会場もあり違う会場もあり)、筆者は思いのほか面白かった印象があり、それに比べると今回の豊田市駅周辺の展示はちょっとあっさりしているというのが正直な感想。各々の作品は素晴らしいが、全体的なボリューム感やバラエティ感として。今回はぜひ豊田市駅周辺だけでなく、豊田市美術館、そして旧豊田東高校の展示も合わせて巡ることをおすすめする。

内容としては、もちろんすべてではないが戦争をテーマ、戦争を想起させる作品が多く印象に残った。動画「この人」でも石黒氏と話したが、日本だけでなく世界中に広がっている不穏な空気、不寛容の雰囲気をアーティストたちも同時的に感じているのだろう。

特に日本において8月は戦争の記憶と強く結びついている(もちろん筆者も含め今や国民のほとんどはあの戦争の体験はないわけだが、戦争と8月の記憶の結びつきはある)、例えば喜楽亭のホー・ツーニェンの展示は映像作品だが、映像映写のため日本家屋である喜楽亭の雨戸を締め切って暗闇にしてある。真昼間に雨戸を締め切っている暑さ(空調はあったが)、雨戸板の隙間から光が漏れている感じなど、これはまさに70数年前私たちの二代三代前の人たちが空襲警報におびえ声を潜めていた状況と同じなのでは、という体験していない“記憶”が蘇った。このようなイマジネートをさせるのがアートであり、特に空間と一体で作品を表現する現代アートのもっとも核の部分に触れた気がした。

おまけ。まだまだ暑い日が続くので、体を冷ましたい方はTAPマガジンにて豊田ご当地アイドルStar☆T(スタート)が紹介するタピオカ(7月号)、涼スイーツ(8月号)はいかがでしょうか。筆者は、7月号で紹介されていたGAZAビル1階のパン屋さんMatakuruBagel(マタクルベーグル)のタピオカをいただいた。

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マタクルベーグルのタピオカ

もう1つおまけ。トリエンナーレの展示会場ではないが、豊田市駅周辺会場と豊田市美術館・旧東高校の間にあるとよた大衆文化センター[TPAC]というビジターセンターがあり(ジャパンレンタカーやローソンのある小坂本町4丁目交差点隣接パチンコ店ZENTの裏側、旧波満屋旅館建物)、トリエンナーレ期間限定でカフェバーが開店していたり、トリエンナーレ外の秘密の展示や市民による展覧会等もこれから充実していく予定らしいのでぜひ立ち寄ってみてください。

https://www.toyotaartprogram.jp/t-pac

最後に、トリエンナーレではアート好きの人たちが市外から大勢豊田を訪れると思うが、これまで現代アートに縁がなかった、豊田市民のみなさんにもぜひ観覧して欲しいと思う。まさしく筆者もこれまで現代アートに縁がなかったひとりだが、展示を巡って「いや~なかなか面白いな~」とシンプルに思ったことは確かなので。ぜひ、見慣れた街並みにぽっかり穴をあけて待っている非日常を体験して欲しい。
あいちトリエンナーレは10月14日まで開催しています。

aichitriennale.jp

 清水雅人(しみずまさと)
映像作家・プロデュ―サ―。豊田市出身・在住。豊田市役所職員時代に市役所内に映画クラブを結成し、30歳の頃より映画製作を開始。映画製作団体M.I.F.設立、小坂本町一丁目映画祭主宰。2013年市役所を退職、独立し、映像制作、イベント企画、豊田ご当地アイドルStar☆T(スタート)プロデュースなどを手掛ける。豊田星プロ代表。映画「星めぐりの町」を実現する会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員。

豊田ご当地アイドルStar☆Tオフィシャルサイト

【コラム・アート】豊田市におけるトリエンナーレ開催の意義/石黒秀和 2019.8特集

 あいちトリエンナーレがついに豊田市にもやってきた。3年に一度の国際芸術祭。愛知県では2010年にはじまり、4回目の今年は名古屋市と並んで豊田市も会場となった。あいちトリエンナーレの詳細や意義については他の媒体に委ねるとして、ここでは豊田市トリエンナーレを開催する意義について、あくまで個人的見解ではあるが記してみたいと思う。

 あいちトリエンナーレの特徴の一つは都市型であることが挙げられる。今や世界的にも有名となった瀬戸内国際芸術祭や越後妻有アートトリエンナーレが農山村部を主な舞台にしているのに対し、あいちトリエンナーレは市街地を舞台としている。豊田市でも、2010年から毎年開催されている農村舞台アートプロジェクトなど、農山村部を舞台にしたアートイベントは大小あるのだが、中心市街地一帯を舞台にした現代アートの大規模イベントは、私の記憶ではおそらく初めてではないかと思う(昨年度の地域展開事業は別として)。特に今回は美術館や市民ギャラリーなど公共的な展示場のほか、駅前の空き店舗など複数の日常空間も活用しており、それはまさに街中そのものを美術館にする試みともいえる。

 

 これにより、私は二つの効果を考える。一つは、より多くの市民に現代アートに触れる機会を提供できる。それによって理解者を増やすことができる(特に現代アートはたくさんの作品に触れることでようやくその面白さや意味が理解できるところがある)。理解できないまでも考える機会を提供できる(この考える機会の提供こそ、現代アートの重要な機能の一つだと思っている)。もう一つは、日常空間にアートが介在することで、それは一種の非日常空間になり、街の景色を変える。つまり、街を少しだけ面白くする。大人の論理で言えばそれによって街を歩く人が増え、経済的波及効果も生まれる。

 現に今回のトリエンナーレでは全体で70万人とも言われる人の動きが予想され、その内どれだけの人が豊田市にもやってくるのか(あえて言えば街中まで来るのか)それは正直分からないが、それでも相当数の人が初めて豊田市を訪れるものと予想される。それも世界中から。市民も改めてわが街を見つめ直す機会となるだろう。そこでなにを発見するのか、それはそれぞれだし、そもそもの街の魅力が試される機会でもあるわけだが、それでも先ずは街を歩いてもらうこと、その機会を得られることにはとても大きな意義があると考える。

ついでに言うと、過去のトリエンナーレのおかげで私は名古屋市長者町豊橋市水上ビルがお気に入りの場所となった。街は歩くことで魅力が現れるものだと思っている(逆に言えば歩いて魅力的な街を目指さなければいけないのだろうが)。豊田市にもそんな「いいね」を覚える市内外の人が増えることを期待している。

 

 また、このトリエンナーレを開催するにあたり、実に多くの人の交流が生まれている。公式ボランティアは全体で1000名を越えていると聞く。豊田会場でも400名近いボランティアが活躍し、さらに豊田市の場合は、とよトリ隊と呼ばれる公募ボランティアがおもてなしや盛り上げ役として活動しており、オープニングイベントや関連事業でも既存の市内のアーティストや市民が主体的に関わっている。そのほか、作家の作品づくりに直接関わったり、自発的なアートイベント開催の動きもあると聞く。こんなことがこんな場所で出来るんだ、という市民や行政の気づきもあるだろうし、このTAPのように、市内の文化情報を一元化し発信する試みも生まれている。つまり、トリエンナーレが刺激となって、既存のあるいは新しい人材の動きが活発になっているのである。こういった既存文化の活性化、新たな人材の輩出、また、市民やアーティスト同士の交流や融合こそが、実は今回豊田市トリエンナーレを開催する最大の意義であり、同時に、トリエンナーレ終了後、その真価が問われる。

 

 最後に、これについてはやはり触れざるを得ないだろう。慰安婦像に端を発した一部展示の中止問題である。このコラム執筆中の8月初旬現在、世間はまさに賛否両論で、その是非については今回はあえて問わないが、日本社会のあるいは日本人の抱える負の側面をはからずもあぶり出してしまったのは間違いないようだ。それも芸術の役割と言えばそうなのだろうが、祭りに水を差された感は歪めない。
 また、私が最も心配するのは、この問題によって行政が、芸術に対して萎縮するのではないかということだ。そもそも芸術と行政(あるいは政治)の関わりというものには様々な意見があるわけだが、今回の件で行政が芸術を支援(それはお金という意味だけではない)することに対し、及び腰というか後ろ向きになる事態だけは避けて欲しいと願う。むしろ、これをきっかけに、社会における芸術の必要性や役割あるいはあり方をともに考え、認識する機会になればいいと思うのだが……。
 今回の中止の判断は、私個人としてはやむを得ないことだとも思っている。というか、これは個々の思想の問題でもあり、民主主義や立憲主義の問題でもあり、為政者や権力を持つ者が軽々に発言するべきことではなく、国民一人一人が、もう一度学び直し、議論し、考えるべきことだと思っている。それには少し時間もかかる気がする。
しかし一方、これをただの中止で終わらせてしまっては、なんだかなんの意味もない気もしている。今回の問題を、なるほどそういう風に解決はしていないまでも提示したのかと、ある種明るい知恵でもって乗り越えることができたなら、それこそが芸術の意義であるし、今回のトリエンナーレの本当の意義になる、と思うのだが……。

 

aichitriennale.jp

石黒秀和(いしぐろひでかず)
脚本家・演出家。豊田市出身。高校卒業後、富良野塾にて倉本聰氏に師事。豊田に帰郷後、豊田市民創作劇場、豊田市民野外劇等の作・演出、とよた演劇アカデミー発起人(現アドバイザー)ほか、多数の事業・演劇作演出を手掛ける。TOCToyota Original Company)代表、とよた演劇協会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員長。

ホーム - とよた演劇協会

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【アート】農村舞台アートプロジェクト2019(8/4~8/18)2019.8特集

農村舞台アートプロジェクト2019

期間:8月4日(日)から8月18日(日)
場所:藤岡・小原地区 各神社

www.cul-toyota.com

 

~農村舞台って何?
昔、農村でお祭りやイベントに使われていた舞台です。
江戸時代後期から明治時代まで盛んに地元の祭りや地芝居が行われていました。舞台としての機能だけじゃなく、お祭りや芝居をすることでその地域の人びとを結びつけるような役割もあったんじゃないか、ともいわれています。
今はもう使われていないけれど、近年その価値が再評価されて指定文化財になったり、そのおかげで一度は途絶えてしまった地元の歌舞伎やお芝居が復活したりしているんですよ!

―どうやって巡るの?
自家用車でまわる場合は各会場に駐車場があります。今年は8月14日(水)に参加無料のバスツアーもあります。駐車場・バスツアーについて詳しくは公益財団法人豊田市文化振興財団 文化事業課まで。 tel: 0565-31-8804 ※月曜休館

 

―ライブ公演のチケットはいくら?どこで買えるの?
1公演:各1,000円 
2公演セット券:1,800円
あいちトリエンナーレ2019国際現代美術展1DAYパスもしくはフリーパス(先行前売、前売含む)をご提示いただくと、1公演につき100円割引いたします。
1公演:1,000円→900円 2公演セット 1,800円→1,600円
各前売り券は藤岡交流館・藤岡南交流館・豊田市民文化会館にて発売中です。

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