TAP topics

TAP/とよたアートプログラム

【アート・音楽・その他】あいちトリエンナーレ2019開幕、豊田会場オープニングイベント「とよトリ祭橋の下盆踊りinTOYOTA BUDOKAN」(8/1)

3年に一度のアートの祭典「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」が8月1日より開幕します。今回は豊田市にて初めての開催となります。期間中は様々なイベントやワークショップなどが行われますので、本サイトでも順次ご紹介していきます。

あいちトリエンナーレ2019 情の時代
【開催期間】2019年8月1日~10月14日

豊田会場/豊田市美術館豊田市駅周辺

aichitriennale.jp

 

また、開幕日には豊田会場オープニングイベントも開催、豊田会場の出展作家の紹介や豊田市をベースに国際的に活躍するアーティストTURTLE ISLANDの特別編成(亀島楽隊)などによる橋の下盆踊りもおこなれます。

豊田会場オープニングイベント「とよトリ祭橋の下盆踊りinTOYOTA BUDOKAN」

【日時】8月1日(木)18:00~20:30まで(開場16:30)

【会場】旧豊田東高等学校 豊田武道館
【料金】無料

【内容】あいちトリエンナーレ2019豊田会場出品作家紹介

橋の下盆踊りinTOYOTA BUDOKAN

一部:音頭取り/西守芳泉と民謡パラダイス

二部:音頭取り/亀島楽隊(TURTLE ISLANDの特別編成)

橋の下盆踊り・踊りワークショップ17:00~

f:id:toyotaartprogram:20190731155356j:plain

f:id:toyotaartprogram:20190731155447j:plain

 

【アート】本日7/23スタート「クリムト展 ウィーンと日本 1900」豊田市美術館(10/14まで)

19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムトの日本では過去最大規模の展覧会「クリムト展 ウィーンと日本 1900」が本日7月23日より豊田市美術館にてスタートします。今回の展覧会は上野・東京都美術館(4月23日〜7月10日)と豊田市美術館(7月23日〜10月14日)の2ヶ所のみ、どうぞこの機会にご来場ください。

 

クリムト展 ウィーンと日本 1900 

【会期】7月23日(火)〜10月14日(月・祝) 
【会場】豊田市美術館(愛知県豊田市坂本町8-5-1)
【時間】10:00〜17:30(最終入場時間 17:00)
【休館日】月曜日 ※ただし、8月12日、9月16日、9月23日、 10月14日は開館
【観覧料】一般 1,600円(1,400円)大学生1,300円(1,100円)高校生以下 無料
※( )は前売券、20名以上の団体料金

※大学生は7月23日(火)から8月4日(日)まで無料
障がい者手帳をお持ちの方(介添者1名)、豊田市内在住の75歳以上は無料(要証明)
※その他、観覧料の減免及び割引等については、豊田市美術館「観覧料」のページ を確認ください。

Toyota Municipal Museum of Art 豊田市美術館 TEL0565-34-6610

【公式】クリムト展 ウィーンと日本1900

 

また、様々な記念イベントも開催されます。

クリムト展記念講演会「クリムト:その品性と芸術」 

【日時】7月23日(火)開場13:30 開演14:00 ※12:00から整理券を配布します
【会場】豊田市美術館講堂
入場無料 先着150名
【出演】講師:フランツ・スモラ(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画展学芸員

 

クリムト展記念トーク&コンサート「ウィーンの楽しみ方・絵画と音楽」 

【日時】7月27日(土)開場13:30 開演14:00 ※12:00から整理券を配布します
【会場】豊田市美術館講堂
入場無料 先着150名
【出演】トーク:西田兼(島根大学准教授) 演奏:綾クレバーン(ピアノ)
主催:(公財)高橋記念美術文化振興財団

 

クリムト展記念講演会「ウィーンの聖なる春:クリムトの人と作品」
【日時】9月1日(日)開場13:30 開演14:00 ※12:00から整理券を配布します
【会場】豊田市美術館講堂
入場無料 先着150名 ※未就学児の入場はご遠慮ください。 
【出演】講師:千足伸行(本展監修者、広島県立美術館長)

f:id:toyotaartprogram:20190723103330j:plain

情報元https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/klimt/
※内容は変更する場合があります。必ず情報元、主催者発表をご確認ください。

 

 

【音楽】PIT VIPER BLUES Release Tour Part2 豊田 T字路s LIVE開催(7/20)

全国的な人気を誇るT字路sのLIVEが、旧豊田東高校 TOYOTA BUDOKANという他にはない空間で行われます。
ぜひ、お越しください。


PIT VIPER BLUES Release Tour Part2 豊田 
【日時】2019年7月20日Open 14:30 / Start 15:30
【会場】旧豊田東高校 TOYOTA BUDOKAN 地図はこちhttps://eplus.jp/sf/venue/4710140
【出演】T字路s
【料金】Adv ¥4000 / Door ¥4500
【駐車場】¥500(先着順)
【チケット発売日】5/25(土) 10:00~
【チケット販売情報】e+ : https://bit.ly/2JEpFww
【メール予約】tjirostoyota@gmail.com 件名を「7/20 T字路s 豊田公演」として、上記アドレスまで、お名前・お電話番号・予約枚数をご記 入の上、お申し込み下さい。
【問合せ先】info@microaction.jp
【主催】T字路s
【企画制作】ワンダーグラウンド・ミュージック
【豊田公演共催】とよた市民アートプロジェクト推進協議会
【協力】スペースシャワーネットワーク / microAction / 橋の下世界音楽祭 / TOYOTA ROCK FESTIVAL
【アーティスティックサポート】Recasting Club プロジェクトメンバー
なお、8月1日18:00〜同会場で、TURTLE ISRANDの永山愛樹氏プロデュースによるあいちトリエンナーレ2019豊田会場オープニングイベント、とよトリ祭が行われます。こちらもお見逃しなく!!!

f:id:toyotaartprogram:20190719122751j:plain

情報元https://www.facebook.com/toyotaartproject/
※内容は変更する場合があります。必ず情報元、主催者発表をご確認ください。

 

【コラム・音楽】20世紀~現在、世界~豊田の「音楽」をグーグルアース的ズームアップで見てみる/清水雅人 2019.7特集

 20世紀の文化芸術はアメリカを抜きにしては考えられない、特にポップカルチャーにおいては。20世紀のアメリカの芸術がそれまでと違っていたのは、それらは芸術としてではなくビジネス/エンターテイメントとして世界に拡がっていったということだ、資本主義というツールを携えて。
 アメリカを語る時によくする質問がある。世界中でもっとも食されている料理はなにか?フレンチ?中華?最近は日本食だって、、、答えはアメリカ料理。アメリカ料理なんてあるの?ハンバーガー、ホットドッグ、ポップコーン、そしてコーラ。アメリカの凄さ/怖さは文化だとは気づかすにいつのまにかすっと生活の一部になっていることだ。

 19世紀末~20世紀初頭、西洋音楽・楽器と黒人のリズム・ビートが融合してジャズミュージックが生まれ、瞬く間に浸透し、コンサートやライブが各地で開かれるようになった。カントリー、ブルース、フォーク、R&B、ロック、、、、様々な音楽ジャンルがそこから派生し、ポップミュージックを形成していく。
 それらの音楽はラジオを通して拡散していった。ラジオで使われたのはレコードだ。レコードは、1950年代まではあくまでもプロモーション用に過ぎなかった。ビジネスのメインはコンサート/興行であって、レコードはコンサートにお客を呼ぶための、本人たちが行って演奏しなくもラジオで曲を流してもらう手段でしかなかった。人々はラジオで音楽を聴き、コンサートに行った。
 しかし60年代から逆転が起こる。録音技術が上がり、機材も進化し、ミュージシャンたちはまずはレコードを作るようになった。レコードは芸術作品とみなされる場合もあった。ミュージシャンはアーティストと呼ばれるようになった。レコードを作り、レコードを売るためにコンサートをするようになった。レコードはコンサートに行けない場所、全世界の人々に音楽を聴かせることができ、ビッグビジネスとなった。
 やがてレコードがCDにかわっても様相はそれほど変わらなかった。日本でも90年代には100万枚以上売れるCDが続出した。
 しかし、90年代末をピークにCD売り上げは減少に転じる、世界的に。音楽コンテンツはデータ化されダウンロード等データで売買されるようになり、やがて売買すらされなくなった。今や月々いくらかの金額を払えば数万曲の音楽を聴くことができる、あるいは無料で聴くことができアーティストは広告収入の一部を受け取る。
 その一方でライブやフェスは増えた。ライブ興行数、観客動員数、市場規模は2000年代以降2~3倍になっているという報告もある。人々は無料同然で音楽を聴き、そのアーティストのライブやフェスに行く。

 時代がひとまわりしただけなのか?新しい局面に入ったのか?進化を続けているのか?それはわからない。この先どうなっていくのかもわからない。ただ1つ言えることは、人が音楽を求めることは多分なくならないだろうということだ。

 私は1960年代末に生まれ、レコード~CDを聞いて育ってきた。十数曲収録されたアルバムをトータルな作品だと思っていたし、CDが売れなくなったと聞くのは悲しかった。しかし、ちょっと俯瞰で見てみれば、そんなレコード至上主義はほんの数十年間のできごとだったことがわかる。

 豊田で定期的にライブ/生演奏を聴けるお店、場所が増えてきている。ライブは名古屋や東京のライブハウスやホールに行くもの、こんな地方都市にいるミュージシャンはアマチュアだ、それも固定観念に過ぎないのかもしれない。

 スマホで全世界の音楽を聴き、たまには名古屋や東京のライブに行き、年に何回かはフェスにも行く、でも明日は近くの飲食店にライブを聴きに行く、週末には駅前のライブイベントを覗いてみる、ちょっと気になったアーティストがいたのでそのアーティストの動画を検索してみる・・・。
 そんなふうに音楽を楽しめるようになるのって悪くないなと思う。豊田がちょっとそういう感じになりつつあると思う。
 まずは、そうなってきていることに気づいてみて欲しい。

 

清水雅人(しみずまさと)
映像作家・プロデュ―サ―。豊田市出身・在住。豊田市役所職員時代に市役所内に映画クラブを結成し、30歳の頃より映画製作を開始。映画製作団体M.I.F.設立、小坂本町一丁目映画祭主宰。2013年市役所を退職、独立し、映像制作、イベント企画、豊田ご当地アイドルStar☆T(スタート)プロデュースなどを手掛ける。豊田星プロ代表。映画「星めぐりの町」を実現する会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員。

豊田ご当地アイドルStar☆Tオフィシャルサイト

f:id:toyotaartprogram:20190702121002j:plain

 

【音楽】とよたのライブハウス紹介2019.7特集

豊田にはライブハウスがない・・・クラブもない・・・そんな時代もありましたが、もう昔の話。

現在、豊田には素敵な音楽が聴ける場所がたくさんあります。ここにあるのはその一部。隠れ家的なお店もまだまだあります。

ぜひ足を運んで自分だけのミュージックライフを楽しんでください。

とよたのライブハウス紹介ページを作りましたのでどうぞご活用ください。

とよたのライブハウス | TAPとよたアートプログラム

f:id:toyotaartprogram:20190711055007j:plain

 

【インタビュー・音楽】インタビュー/愛知発4ピースロックバンド「ハローモンテスキュー」2019.7特集

2016 年活動開始の「切なく、熱く、儚い」愛知発4 ピースロックバンド。
9月4日セカンドミニアルバム「生活」の発売が決定したバンド「ハローモンテスキューから豊田にゆかりのあるギター・ボーカルのはたけさん、ギターの708(なおや)さんに楽曲制作についてや豊田の思い出を語っていただきました!

youtu.be

インタビュー音源 ノーカットで公開します。

※インタビュー中のセカンドアルバム発売日が8月26から日9月4日変更となりましたのでご了承ください。

 

TAP MAGAZINE7月号では一部抜粋しか掲載されなかったインタビューの全文を掲載します。

この度はお忙しい中取材を受けていただきありがとうございます。実はこの、TAPマガジンなんですが、第0号が一週間後の6月21日に発行予定なんですよ!!(注:収録は6月13日)
ーはたけ(以下「は」)708(以下「7」) おめでたい!!
ということで…一緒にお祝いしていただけますでしょうか(笑)
ーは お、お祝い!しましょう(笑)!めでたい!
あ、これちょっと音声では伝わらないですけれども某国民的な即席ラーメン風のクラッカーです…
(このあとのやり取りはインタビュー音源にてぜひ)

ーは 7 TAPマガジン第0号 発行おめでとうございます!!!
ー(クラッカーが弾ける)
ーは 7 T おおお!ぱちぱちぱち
ーは あれ?あ、出てる出てる(笑)
ありがとうございます〜〜
ーは 具がさ、やっぱり出てるじゃない(笑)
はいっ!ありがとうございますっ!えーTAPマガジン、6月号皮切りに11月号まで月イチ発行の予定ですので、今年度、あいちトリエンナーレの情報や豊田市の文化活動に興味のある方はぜひチェックをしてみてくださいね!
−は 7 よろしくお願いします!
では改めて。自己紹介をお願いしてもいいですか?
ーは はい、ハローモンテスキューというバンドでギターボーカルをやっています、はたけです!
ー7 ハローモンテスキューでギターと作詞作曲やってます708(なおや)です。
グループについてちょっとお聞きをしたいんですけど、どんなコンセプトでやってらっしゃるんでしょうか?
ーは よく言われるのは せ・・・青春・・(笑)
ー7 青春マンガから飛び出してきたような…みたいなことをうたわれてるんですけど。僕ら、青春…よくある少女漫画みたいな甘酸っぱい青春とは程遠い人物が4人集まってしまっているので…。
ーは そうですね(キッパリ)
ー7 だからどっちかっていうと「ジャンプ」系の青春マンガではないような・・・どっちかっていうと「スピリッツ」とかそっち系(笑)
ーは 王道の青春では、ない(笑)感じで…。
ー7 俺この前「闇金ウシジマくん」読んだしね・・・これは置いておこう。
ーは いやいやいや(笑)流れてるよ!
じゃ、楽曲についてはその青春というテーマに関連したような作詞作曲ですとか曲調をイメージして作られているんですか?
ー7 基本的に結構そんなこだわって「恋愛の歌を書かなきゃ!」とかそういう感じはなく、それこそ今度発売するセカンドアルバムが「生活」っていうタイトルなんですけども。
生活の中の一部分、青春って言っても学園生活だったり味気ない、1日何もなかったなみたいな登下校の生活の一部なわけでそれもまた青春なんではないかと!
ーは 青春っていつでもさ、きっとどの年齢においても青春っていろいろな形である、という。
ー7 10代だけに限った話ではない。
では思い出の楽曲制作秘話とかありますか?
ー7 結構何かと、些細なことからインスピレーション受けることが多くて。
例えば今回のアルバムとかも、ふとした瞬間に「あ、これこういう題材で曲にしよう」みたいなのを曲にしたりすることが多いので。それをはたけが歌うと全然違うものというか、より表現の幅が広がる感じがします僕は。
ーは ほわ〜〜〜〜
「自分がこういうイメージを持っているとします。でもはたけさんが歌ったら違うイメージになりました。それが予期せぬ良さを生み出しました」みたいなことも多々あるっていうことですよね
ー7 そうですね、思わぬ化学反応です。
ーは 化学反応!なるほど!
次のアルバム名「化学反応」にしたらいいんじゃないですか!?
ーは 「生活」から「化学反応」に。
ー7 ちょっと面白いね、一枚目「告白」で二枚目「生活」で三枚目「化学反応」って(笑)
ーは 謎じゃない(笑)?

 

では楽曲とか活動についてはちょっとこの辺で…。豊田のプロジェクトなのでお二人、地元でいらっしゃるとお聞きしていますので…。
ーは・7 そうですね、バリバリに地元です。
中学高校時代どんな生活をしていらっしゃったのか、お聞きしてもよろしいですか?
ーは 結構…自由に生活してたと思うけど(笑)好きなように勝手に生きてた感じ。
ー7 俺は部活しかやってなかったから…すごい、本当に部活ばっかやってた。こう見えて運動部なんですよ僕。
何部ですか?
ー7 剣道部でした。運動部。剣道部っていうと「え?嘘やん」みたいな反応されるの結構ちょっと不服。やってたぜ、俺(笑)
私、はたけさんの方が剣道部やってそうなイメージあります。私…実は知ってますけどね!
ーは 同級生だもんね(笑)(注:はたけさんとインタビュアーは同級生です。)
ー7 じゃあ、お互い剣道やってたってことですね。
ーは 一瞬だけどね!私はもう風のように…サッと…(辞めた)。でもそんなに部活(中心)だったの?
ー7 部活終わって、その後警察署とかの道場に行ってさらに剣道して…みたいな。
警察に「豊道会」っていう道場があって。豊田の道の会っていう、、、、あ、漢字間違ってたらどしよ(笑)
部活動をされてた中学高校時代の708さん、どうでしたか?
ー7 いやもう何事も、僕ギターとかも練習するのがすごい嫌いで。剣道とかも練習がめちゃめちゃ嫌いだったんですけど。やっぱ剣道も試合で負けたら悔しいし、ライブも当日に自分が思うように弾けなかったら悔しいなっていうのがあるので、好きじゃないけど練習って大事なんだなって剣道の頃から思い知らされました。ま、今だにそんなに練習してないけどな(笑)
ーは ダメじゃん!
ー7 いや、昔よりは(笑)この歳になって気づく部分が多い気がする。色々照らし合わせると……綺麗に繋げたな!今。点と点が繋がるとはこのことだ!
ーは 私は、結構自由気ままに学生生活を送ってたかな。本当にね、剣道とかさ、一個バーンみたいなのなかった気がする。
ー7 (はたけとは)高校の時から一緒にバンドをやっていたので、今のバンド自体は3年くらいなんですけど。高校の時、市民文化会館、、、いや産業文化センターの目の前に「ジェントルソーツ」っていうスタジオがあってそこで練習してた。毎週練習してたね。
ーは 学校終わってから直で。
ー7 そのまま産文(産業文化センター)の小ホールみたいなところでやったり。
ーは あーやったやった!
その「ジェントルソーツ」は今でもある・・・?
ー7 なくなっちゃったんですよ…切ない…。あのお兄さん元気かな…。
ーは あのいつも動画見てた人ね。
ー7 おもしろかったですよ、いつも暇そうにしててスタジオに行ったら常にニコニコ動画とかユーチューブとか見てる人で。スタジオの人が。「おう!お疲れ〜」とか言いながらめっちゃニコニコ動画見てる(笑)
ーは 私その時にもらった長門有希(アニメのキャラ)の缶コーヒー、ずっとまだ開けずに持ってる(笑)
ー7 絶対腐ってるよ!!
ーは 置いといてるよ〜部屋に(笑)
ー7 どうなんだろ、缶コーヒーって腐らないのかな?(混乱)
ーは 開けてないからね(ドヤ!)
ー7 ああ。。。
ーは ま、思い出として…。
ー7 その高校の時にやっていたバンドのアーティスト写真も2回撮ったんですけど、携帯で。
一回目が夜に産文の上から照らされてる光で影をうつして…二回目が産文の中からガラスに写る自分たちを撮って…。
ーは あ〜思い出したぁ!!
ー7 探したらその写真ある気がするなぁ。
ーは ちゃんと写さないところが今も継承されている(笑)
ぜひ後でお見せいただきたいですね…。
ーは もうないんじゃない?
ー7 いやこれがgoogleフォトに入ってて(笑)
ーは すごい時代だ・・
ー7 これで豊田に触れれたね!
産文がハローモンテスキューのゆかりの地というのも新たな情報かもしれませんよファンにとっては。
ーは 聖地巡礼とかされるのかな
ファンの皆さんぜひ豊田市にお越しください!当時はどこに遊びに行ってましたか?
ー7 俺その産文だけじゃなくて、初めて人前で演奏するっていうのが豊田の大林にある「和音」っていう楽器屋のホールだったんで。いってしまえば俺の初ライブも豊田だった。高校生の時に。「クロックス」っていうバンド名でRADWIMPSとかやってた。
みんな、(クロックスのサンダル)履いてたんですか?
ー7 いや、履いてないっす。
ーは 履いてないんかいっ!
ー7 みんなしまむらで買ったカーディガンとか着てライブやってたよ(笑)
はたけさん今日パーカー?ロンT、しまむらですけど(笑)
ー7 すごい、展開一緒だ(笑)
ーは さすが。
袖の裏側に「しまむら」っていうロゴが入っているんですけど。
ー7 回しもんみたい…(笑)これ以外に着てるのあんまりないよね、はたけ。
ーは え!そんなことないよ(笑)
ー7 いや、これを何着か持ってて…
ーは いや!2着だけだよ!2着2着!
ー7 それを着回してる…
ーは 今は白を着てるんですけど、白と黒を持ってて…結構着やすいからよく着ちゃうんですよね。しかも着てたらライブの日とか、初対面のバンドのひととかに話してもらえるきっかけになるんですよ!
ー7「え〜しまむらじゃーん」って。
ーは そう!「おもしろいロンT着てますね〜」みたいな。「そうなんです〜これしまむらなんですよ〜」みたいな。
ー7 そこから広げる系?
ーは そうそうそうそう、そこから話が広がるっていうの?そういうこともあって着てたりする。
ー7 本当に(笑)?
ーは ま、ない時もあるけど。普通に気に入っているよ!お気に入りです。
ー7 脱線してしまったな。でも豊田で「遊びに行く」っていったらどこに行くんだろうな、みんなは。白浜公園の豊田大橋の下で、、、学園祭の練習とかしてた…よね?
ーは 私はあれだよ、T-FACEとかいってたよ。
ー7 T-FACEめっちゃ行ってたわ。俺 ヴィレヴァンで1時間は時間潰せたもん。
学生が集うT-FACE。
ーは 私はゲーセンで遊びまくってたけどね。あれ?あれはセントレか?
ーT ギャザビルですかね。
ーは ゲーセンか、スタジオって感じだった気がするよ。学校が終わったあとね。
ー7 なるほど。そしてスタジオが終わった後ずっとサイゼリアでぺちゃくちゃ喋ってたしな〜。
ーは そうだね!
ー7 懐かしい!

 

そんな豊田の「ここがツボ」みたいなポイントはありますか?
ー7 結構いろんな、産業文化センターとか豊田スタジアムとかそういう大きい場所があって、例えば吹奏楽とかオーケストラとか、はたまた豊田スタジアムにはバンドとか有名な歌手とかも来たりして。
ーは 豊田市美術館もあるしね!いろいろあるよね。
ー7 普段何気なく暮らしていたら気づかないけど結構芸術に溢れてる街だよなって僕は思います。
はたけさんどうですか 豊田のポイント。
ーは 私は厳密にはあんまり豊田じゃないからさ。知らないけど…そうだね、
例えば、ここにこんな変なおじさんがいたとか。
ーは そんなのでもいいの!?
ー7 大丈夫なのそれ(笑)
個人名を出さなければ。
ー7 いやでも俺さ、ピンクの学ラン着てモヒカンのヤンキーとか見たことある。「真っピンク!?」と思って(笑)スガキヤでラーメン食ってた。
ーは まじで…!?
お店でちゃんとラーメン食べてるところがちょっと好感度高い…(笑)
ーは でもちょっと想像できるよね、情景がさ。
ー7 ブンブン鳴らしてる人たちもちゃんと信号守ってるからね。
ーは ポイント高い。
ー7 あ、俺「おいでんの湯」めっちゃ好きだよ。めっちゃ行ってた。
ーは あ、おいでんの湯で思い出したけど、お祭りがデカイのも豊田、いいよね。花火とかさ、すげーデカイの上がるじゃん。
ーは 私の住んでる周辺の中ですぐ大きい夏のお祭りに行けるのが、高校の時は嬉しかった。
ー7 おいでん花火ってすごいよな。人すごいし。あと仕掛け花火、普通に歩いてたら見えないんだけど、家から仕掛け花火見えるから、花火終わった〜と思ったら最後にシャーって仕掛け花火上がって「なんだ!?」と思ったら「終わり」って出てて。
それが毎年めちゃめちゃシュールだなって思いながら(笑)
ーは そういうでっかいお祭りに遊びにいけたのも楽しかったな、おもしろいポイントだなって思いますね。豊田の。みんな一度は来て欲しい!
ー7 みんな踊り狂ってるからね…。踊り狂ってるっていう言い方も悪いな(笑)
秩序ある感じで(笑)踊り狂ってる…。
ー7 俺も小・中学生の時は踊ってたし。
ーは いいな〜私踊りたかったもん、そういうさ…
ー7 教えたろっか(笑)踊り。
ーは 踊れないんじゃないの!?踊れないって言ってたじゃん(笑)お祭りの道を、道路を封鎖してみんなで踊るじゃん、踊って進んでくじゃん、あれに参加したかった。参加できなかったけど〜。
ー7 申請出したらできるんじゃない?あ、でも予選があるけど。
ーは 予選があるの!?
地区予選みたいなのがあって、
ーは それが通ったら…
ー7 本選があって…
出れてなおかつ当日に、
ー7 メダルかけてもらえたり。
ーは そんなことがあるの!?知らなかったーいいなー!
ー7 みんなてっぺん目指してやってる。
ーは ガチな祭りなわけだね…いいなあ、お祭り男になりたいもん。
ー7 性別の問題から…?
ーは お祭り人間…?お祭りが好きだから、お祭りに積極的に参加したい、って感じで。
ー7 お祭りしよう!
お祭り…主催したらいいんじゃないんですか?
ー7 ロックフェスティバル2みたいな。
ーは いーんじゃない!?花火もあげよう!
今後の展望豊田でフェスを主催する、でどうですか!?
ー7 個人的にめちゃめちゃそれ、あって。豊田スタジアムで昔Tresureっていうイベントやったりしてて、それでいつか豊田スタジアムでライブやりたいって密かに思ってるので。いつか。
アジアンカンフージェネレーションとマキシムザホルモンとORANGE RANGEとか来てたんですよ。レミオロメンも来てた・・・エルレガーデンも来てたよ。
ーは すげえな!すごいのいっぱい来とる!豪華!
ー7 俺らも呼ばれたいな!「豊田にハローモンテスキューが来たぜ!」みたいな!
ーは 「聖地巡礼してくか!」みたいな!

 

ではそろそろ締めていただきたいんですけど。視聴者とファンの皆さんに一言。
ー7 豊田スタジアムとかでもやれるようにがんばりたいので、愛知、ハローモンテスキューというバンドを今後ともよろしくお願いします!
ーは 告知にはなってしまうんですけど8月28日水曜日(注 9月4日に変更になりました)なんとハローモンテスキュー、セカンドミニアルバム「生活」が発売します!イェイ!ありがとうございます!さっき話で少し触れましたけども「生活」っていうタイトルが出ましたけどいいアルバムになっていますので、ゲットしてもらって、いつかトヨタスタジアムでやるライブに遊びに来て欲しいな!と思います!ハローモンテスキューをこれからもよろしくお願いします!!!

f:id:toyotaartprogram:20190711054019j:plain

ハローモンテスキュー OFFICIAL WEB SITE

youtu.be

 

【インタビュー・音楽】インタビュー/永山愛樹氏(TURTLE ISLAND 橋ノ下舎)2019.7特集

アジアを中心に活動し、橋の下世界音楽祭を2012年から昨年まで7回開催するなど、豊田をグローバルな発信源としてきたTURTLE ISLAND の永山愛樹さんに豊田と音楽について伺いました。

[インタビュー完全版]

豊田の音楽特集ということで、豊田を代表するロックバンド、Turtle Islandの永山愛樹さんを迎えてお聞きしたいと思います。
日本だけでなくアジアを中心に各地でコンサートをしながら国内外のミュージシャンと交流し、橋の下世界音楽祭を2012年から昨年まで7回開催し、がぜん豊田をグローバルな発信源としてきました。今回は、あいちトリエンナーレを豊田で初めて開催するに際して、初日の8/1の夕刻(16:30開場18:00スタート)から豊田市美術館隣の旧豊田東高校・武道館でオープニングパーティーをプロデュースしていただいています。出品作家紹介だけでなく、いつもの盆踊り以上に永山さんを中心に熱を入れて会場構成もしてもらっています。
さて、まず永山さんたちが橋の下世界音楽祭を始めた切っ掛けからお願いします。

永山 東日本大震災が切っ掛けでした。最初は物資を集め被災地へ持って行ったり、音楽仲間たちが代わる代わる瓦礫の撤去などの作業に行きましたが、その後、原発問題など皮切りに様々な問題が膿のように出てきましたよね、そしてどんどん人々が分断されていくのに危機を感じました。イデオロギーや善悪の裁きではなく、何かそんなもの超越した生まれ変わるための生命の祭りみたいなものをやらなければと思うようになりました。
そしてまず、そもそも生まれた時から僕らはすでに西洋の基準や価値観にはめ込まれていたと思うのですけれど、まず土着的な文化や考え方とか民族性とか、生活・感覚、要は細胞やDNAが喜ぶようなものやことを見つめ直さなければならないのではないかと。で、メインストリームに流れる大半の浮き輪のついたものでなく、僕らの勝手な独断ですが、地に足の着いたというか、地を這っている音楽や芸能の今昔、日本、アジア周辺、東洋の音楽祭をやろうと。それも音楽以外の他の文化的なもの、歴史もひっくるめて現代アジアのお祭りをやろうとしました。会場作りも河川敷の竹を大量に刈り出し、ゴミ(廃材)を大量に集め橋の下の河原に街を作っていくのです。そもそもあの規模(推定のべ2万人)で入場料は自分の価値観でそれぞれ考えて決めてもらう投げ銭式で運営するなんてバカな事例は他に無いだろうがあえて行いました。実験です。信じてみたかったんです。

だんだん大きくなってきましたよね。人の生きている生活の只中から、身体感覚として音楽もダンスも生まれるが、そんな原点が見えるようなアナーキーで開放的な雰囲気で。

永山 音楽って歴史上生まれて途中からビジネスになってしまうけど、もともとは生活の中から発生してきた歌や音楽、これが原点なわけですもんね。
そして橋の下の幻の町には鍛冶屋、草履屋、和紙、キセル木地師、などなどの職人街、また全国から集まる参加者が海水を持ち寄り、塩炊きする人達がいたり、そしてその塩を使って麹屋が翌年味噌にして持って来ようとか、さらには農家の人たちが味噌作りや、農業などなど様々なワークショップやトーク、そしてイノシシ、ハクビシンなどの獣の解体して料理とかも毎回やってくれているけど子どももみんな驚いていて大人気で。だから、そこらの興行としての音楽フェスとは完全に似て非なるものでして、橋の下でやっているのはお祭り。ただのお祭り騒ぎではなく、本当のお祭り。現代社会に対する自分たちからの返答であり、実験でもあるんです。こんな風に生きてもいいんだ、生きれるんだ、こんなことできるんだ、という各地民間同士のビジョンの共有や情報交換するそんな実験的な場でもあるんです。

有名無名問わずいろいろなひとが様々にいるところが面白い。

永山 地元のヤンキーの先輩から、家族兄弟親戚、パンクス、サラリーマン、農家、子供、お年寄りに、中学の先生に役所の人間などなど、とにかくこんなに雑多で多様な客層のイベントは他にないと思います。
どこかに居るはずなんだろうけど、街中では普段なかなか見ないあんなに多様な種類の人々が一堂に集まってくる。それはどんなふうでも存在してていいんだという会場に流れる雑多で寛容な空気感、居心地が良く楽しいからなんだと思います。

海外の出演者はタートル絡みでの招聘ですか?

永山 バンドで海外ツアーをした際などに共演し繋がっていっています。

でも今年はなぜか休みましたね。昨年も、コンサート中に全国から来た観客に向かって「オマエら、帰って自分たちのところでやれー」と言ってましたね。

永山 単に日程的にも会場側との都合も合わずで。ということで、今年は休憩です。やりたくてやらないとダメだし。使命感になってはダメですよね。仕事じゃないから、だからこそよく考え大事にやってかないと。ライフワークというのか、、
限られた人数で、設営も一ヶ月前からやっていて、だんだんやりすぎて疲れてしまって・・・。いろいろ細かいことや問題も気にしすぎたり、人が多くなりすぎていろいろ大変になり自分らが遊ぶ余裕が無くなってきてイライラしてきたりと、、でも後々冷静に考えるとああ見えてもあの規模であのやり方で大したルールも無くやっときながらかなり秩序は取れているんですよね。自分らに余裕がなくなっていただけで、、
現代社会が整いすぎて、皆与えられ慣れ過ぎているから何も考えなくなってきているけど、そもそも世界は誰かから与えられているものでなく、自分たちが創っているんだぞと、認識しないと。俺たちも若い時は何かにつけて文句ばっかり言っていたけど、自分たちが主催側に廻ると大変さが分かる。だが、意外にルールを作るより、来ている人たちに意識を持たせる方がいい。この祭りがいつ無くなろうとこっちは構わない。この場所を持続させたいんならみんなで努力しよう、考えよう。言っとくが、我々はお客様にサービスするためにこの祭りをやっているわけではないんだとははっきりと言わせていただきたい。河川敷のように水もトイレも電気も無い、インフラが何も無いところでわざわざこんな事やるなんて面倒くさくて誰もやらない。でも何にも無いところから原始的に始まっていくという行為を体験すると、見える世界は格段に変わると思います。。

音楽を原点にしながらそのように橋の下世界音楽祭をやっている傍らで、自分たちの原点として民家をリノベーションして、本拠地として様々なコンサートをしていますよね。

永山 橋ノ下舎ですね。アコースティックライブ、民謡、三味線の教室、映画上映会、親子リズム教室、座談会、ワークショップ、その他会議などなど様々な方々が公民館のように使用している。いわば橋の下(祭り)と橋の上(日常)の繋がる場所。僕は<アウトサイダーズ公民館>なんて呼んでいる。

さて、その永山さんが出てきた子どものころの豊田はどうだったんですか?どういうふうにやっていたのか?

永山 何も無かったです。豊田にライブハウス、クラブもレコード屋もなかった。数少ない音楽雑誌とか、われわれは昭和51年生まれのロックブームの残り香の時代で、近所の兄ちゃんのカセットとか借りてきたりとか、隣町とか名古屋のレコード屋に出かけて数少ない情報を探し出し飢えるように音楽を聴いた。そうこうしているうちに、ちょうど30年前、中学生の時にパンクバンドを組んでいたんだが、20代の先輩たちが駅前でゲリラライブをやろうということになった。当時、各中学ごとにパンクバンドが結構あって、発電機や機材持ち寄って「炎天下GIG」という名でマクドナルドの隣あたりでやり始めた。今と違って許可を取ろうとしても全く相手にされない、警察来るはヤクザ来るわで大変だったが、時代時代で主導するやつも代わりながら20年ぐらいやってたんじゃないですかね。何もないおかげで自分たちで何でもゼロから始めてきたから、その延長で橋の下まで繋がっているのかも知れない。手撒きのチラシと口コミだけで、自分は駅前にたむろし半分住んでいるみたいなものでしたが、ライブをやるとずいぶん客は来ましたね。現在でもそのまま続いているバンドもたくさんある。きれいな再開発の街になってきて僕らパンクスや暴走族などは完全排除対象だったですよね。当時はもっといろんな人種がもっと居た。街には人が居て、そこから街が出来ていくはずだが、今はハード面から作りすぎちゃうから、まるで中身の無いからっぽな天ぷらCITYですよね。駅前再開発会議に出席した時、死角や路地をなくし不良や浮浪者が溜まらないようなまちづくりをしなきゃとか、いい大人達が真剣に話しているのを見て笑ってしまった覚えがありますが、果たしてそれは良いことなのかな?と、疑問に思いました。全てが画一化されある一定ラインをクリアしていないと存在してはいけない世界ってどうなんだろう?街から逃げ場やゆとりがなくなると逆に酷い犯罪や祟り神のような存在が増えるんじゃないか?とよく思います。今はまたいろいろ変わってきてるのですかね?そうあってほしいです。新とよパークとかは面白いですよね。ああやって街に住んでる若い人らがガンガン変えていけばいいんですよね。自分たちの居場所は自分たちで作ればいいんですよ。

矢澤さんたちが始めた「トヨタロックフェス」は2007年から12年間やってきたが、一回目からバンドとして出演している。彼は足助出身で若い頃はインドなどを旅したり、当時は面識なかったが、20代後半あたりに初めて出会い熱い未来を語り合ったりなんかもしたが、今思えばあれからあっという間だった。確実にいろんなことが変わってきている。少なくても自分たちの周りは。

豊田の発信力としては美術よりも音楽の方が先行していますね。今回はあいちトリエンナーレの初日にオープニングイベントで地元の人たちと足助音頭、挙母音頭なども含めやってもらいますが、いわゆるローカルにしてグローバルという「グローカル」という言葉がありますが、そんな印象があります。

永山 自分たちは音楽で東京に出ようなんて思ったことは一度も無いんですよ。ここに居ながらでも世界にでも何処にでも出れると思っている。土橋駅から電車乗って世界に行くんだと。豊田は豊田市駅周辺こそ都会化しているが、基本、田舎だし、田んぼがあって空が広いのが良い。で、土と空と風と水に触れるのが大事で、川原に居るとアドレナリンが出る。アジアの田舎を旅するとよく見る光景、大抵夕方になると街中でもそこら中でボーッとしている。太陽とか月とか、そういったものを中心に生きている感がある。それが野生本来の姿だと思う。

あえて橋の下という水辺でやるのは?

永山 山の中の音楽イベントはよくありますが、そうでなくて街の、日常の延長でやりたかった。でも、風が吹いて、水があって、土の上で何も無いところが駅から10分くらいのところに奇蹟的にある。あと人類のルーツなんて言ったら河原乞食みたいなもんじゃないのかと思う。歌舞伎など芸能は橋の下から発生していると言われていますし。河原とか、橋の下って実際には違うんだけど、治外法権的な感じあり、社会の船底であり避難所であり、人類の故郷のようなところだと思うんです。だから人々が開放される。現代の祭りをやるには最高の場だと思う。

今後は?毎年、やらないと言っているけど。

永山 東北の震災からの流れで毎回今回で最後かもというくらいのつもりで死ぬ気でやってきました。大人になって仕事でもなくそこまでやることなんてなかなか無いですよね。でもこの感覚を経験したか経験してないかでは全く人生の価値が違います。橋の下世界音楽祭は実際には神事ではないのだけど神事くらいの気持ちでやっています。形や規模などはどうなっていくのかはわかりませんが、どうあれ祭りは続けていきたいと思っていますが、次のサイクルに入っていくのかなとは思います。年に一度自分たちの魂を解放して、心の洗濯して、生のコミュニケーションを取り、未来に繋いでいく実験の場ではあり続けたいですね。なんだか分からないけど、会場を歩いてるだけで泣けてきちゃうことがたくさんあるんですよ。

TURTLE ISLAND - タートルアイランド

https://www.facebook.com/橋ノ下舎-1645971665720002/

橋の下世界音楽祭 SOUL BEAT ASIA 2018

f:id:toyotaartprogram:20190710162652j:plain