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【コラム】劇団ドラマスタジオ公演「光の春」観劇レポート 清水雅人

 2018年12月1日2日に豊田市民文化会館小ホールで上演された劇団ドラマスタジオ第24回公演「光の春」観劇のレポートをしたい。まず、本公演の概要についてだが、トピック的な情報を冒頭で掲出しておく。

 ・豊田にて現在活動するもっとも古い劇団ドラマスタジオの初のオリジナル作品である(ドラマスタジオはこれまで一貫して既存の舞台シナリオを上映することをコンセプトとしており、オリジナル作品上映はしてこなかった)。

 ・そのオリジナル作品の作演出を豊田演劇界を長年ひっぱってきた石黒秀和氏が行った。

 ・役数が多く、劇団員以外の演者は広く公募して集められた。

等々。

 筆者は2日目、12月2日の公演に行ったが、集客については、2/3くらい席が埋まっていてそこそこ入っている印象だった。後日石黒氏に聞くと、1週間前くらいまで前売券が全然余っている状況だったが、本番前数日で一気に売れてホッとした、とのことだった。

 作演出の石黒氏について改めて簡単にプロフィールを紹介しておこう。

 テレビドラマ脚本家を目指して高校卒業後、倉本聰氏が主宰する北海道富良野富良野塾に入塾。その後豊田に戻り、とよた市民創作劇、とよた市民野外劇等に関わる。その後、とよた演劇アカデミー、豊田演劇バトルT−1等立ち上げを経て、2017年とよた演劇協会設立、会長を務める。また、この<TAG>を筆者とともに行っている。

 とよた市民創作劇に関わっていた当時より、石黒氏自身がテレビドラマ脚本家を目指していたこともあり、非常に映像的な作劇、演出が特長と言われてきた。具体的に言うと幕、シーンが多い、登場人物が多い等々。

 もちろん過去の作劇の中には一幕ものもあるが、やはり“映像的な劇作家”という印象が強いのではないだろうか。

 そういう意味でいうと、今回は思いっきりやりたいことをやったというか、自分の世界を展開した、映像的な作劇をつらぬいた印象だ。例えば、市民創作劇や野外劇等については、たくさんの演者を舞台上に登場させなくてはならない、演者の力量の問題等物理的な制限の要請によりシーンを多くしたという要因もあったと思うが、今回はドラマスタジオという老舗劇団の公演ということで、そのような要請はなかったと思われるので、“やっぱりそういう作劇がやりたいんだな”というのが第一の感想だ。

 ストーリーは、“東”と“西”に分断された2国、川を挟んで没交渉している2国のそれぞれを描いていく。ただし、描かれるのは市井の人々であり、淡々とした日常が描かれ、説明的なセリフもないため、分断された2国の状況、歴史は少しずつしかわかってこない。公演のほぼ前半はシーンを丁寧に重ねてパズルのように状況の輪郭を見せていくことに時間が割かれる。公演前の予告等の段階では、(南北に分断された)朝鮮半島をモチーフにしている雰囲気もあったが、本公演では、もっといろいろな要素、もっと歴史的に何層にも重なった要素が入っていたと思う。例えば冷戦中の東西ヨーロッパ的な要素、例えば日本が太平洋戦争後分断統治されてたらと思わせる要素、等々。あるいは、村上春樹的なこちらの世界と向こう側の世界という世界感や、宮崎駿ナウシカ的な要素も感じられた。生活ぶりの質素さが昔ではなく核戦争後の近未来という雰囲気もあった。原子力発電と思しきものも登場して、極めて現代的、社会的なモチーフも多数出てくる。そういう意味でも、石黒氏が自らのこれまでの影響等も開放して、惜しみなく、隠さず出してしまっているな、と思った。

 ちょっと視点を変えよう。随所に出てくる絵画的なシーン、動く絵画(まさに映像的だと言えるが)のようなシーンも多数あり唸った。例えば、川の“東”と“西”を、舞台上と観客席中央部分で分けて表現するシーンが何回かあったが、舞台上で噴出されたスモークが、川の靄を表現しつつ、それが少しずつ観客席に流れて行き、観客席中央で演劇している演者のところにゆっくり到達する感じなど、実際に川が両者の間にあるような、距離感、時間感覚も含んだ錯覚を演出していた。照明の巧みさと合わせていいシーンだったと思う。

 そして、つい当たり前に思ってしまいがちだが、シーンの重ね方が非常に丁寧だということは言っておかなくてはならない。このような群像的なドラマは観客に対して決して親切に説明をしてくれないので、シーン構成を間違うと一気に集中力を奪ってしまう危険があるが、先ほどいった絵画的なシーンも織り交ぜながら、丁寧にシーンを重ねることで飽きさせない。具体的な部分で説明するのは難しいが、職人的な作劇のなせる技だと思う。

 ストーリーは、ちょうど中ほど、老夫婦が自分の子どもを探すために川を渡ろうとする、隣国に行こうとするシーンから一気に動き出す。ただ、ここからはちょっと急いだかな、という印象だ。エピローグとしての前半とプロローグとしての後半がくっついていて、まん中が抜けてしまった感じだろうか。2時間プラスアルファの公演時間内でそれなりの結末を出さなければという制約の中ではしかたないと思うが、ストーリーのスケール感は倍、いや3倍くらいあったと思うので、完成版を観たいな、という物足りなさを感じてしまった。

 いずれにせよ、物語の世界感、スケール感、安易な答えやメッセージを提示するのではなく観るものに委ねる作劇はさすがだったし、満足感のある公演だったと思う。本作の続きなのか、連作なのかが今後あるかはわからないが、もっと深く知りたいと思わせる内容だった。

 さて、最後に、公演の外側について蛇足的な心配を1つ。本作のような“映像的作劇、演出”は演劇では確かに王道ではないのだろう。この公演が例えば多数の劇団が存在し、多数の演劇公演がある、王道的な芝居もあり新しい芝居もあり異端な芝居もある名古屋であったのならば、様々なジャンルの演劇公演の中のいち公演として評価を受ければいい。だが、本作は豊田での公演であり、豊田の演劇界の中心にいる石黒氏の作演出であり、豊田の老舗劇団ドラマスタジオ公演であることを考えると、正確な評価を受けにくい状況なのかな、と思ってしまう部分もある。例えばあまり舞台を見慣れてない人、例えば説明の少ない映画等を見慣れてない人には、ちょっとわかりにくかったかも、と思わないでもない。

 “それでもこれをやるのだ”という石黒氏の強い意志は感じたので、それはとてもよかったのでだが、その“立ち位置”がゆえのジレンマはあるかなと思った。

 ただ、それは、豊田での演劇公演が増えていき、様々な要素の演劇が見られる状況、演劇鑑賞者が増えていく状況になれば解消する問題だと思う。なので、石黒氏の早期の次回作公演を期待し、また、育ちつつある豊田の演劇人材による演劇がもっともっと公演されることを期待したい。

清水雅人

映像作家・プロデューサー。<TAG>発起人。映画製作団体M.I.F.元代表。映画製作の他にも、小坂本町一丁目映画祭運営、豊田ご当地アイドルStar☆Tプロデュ―スなどを手掛ける。