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TAP/とよたアートプログラム

【コラム】意識と無意識 加東サユミ

「演じるとはなんだろう?」

長年舞台をやっていて、この答えがずっとでなかった。

私が演じるうえで"役に入り込む″という事はない。むしろ入り込むべきではないと思っている。

舞台の上にはセットがあって、照明があって、台詞を話す。ということは、

セットにはぶつかってはいけないし、照明があたる場所に位置をとり、決められた台詞を話さなければならない。

つまりは幾つものことを同時に進行しなければならないわけだが、そんな時に役に入りこんでいるわけにはいかないのだ。

どちらかというと冷静さの方が必要だといえる。もちろん人によって"役に入り込むことが必要″という人もいるわけで

それはそれで否定はしないが自分にはない感覚だな、思う。

そもそも役者は演じているわけで、それは実際には思ってもいない言葉を言うわけで、つまりは嘘をつくのが仕事なのだ。

好きでもない相手に好きだと言わないといけなし、体はピンピンしているのに病気のフリをするのだ。

そう。「フリ」をするのだ。観客を思いっきり騙すために。

では、演じる=人を騙す、のか。間違ってない。でもそれだけの説明では自分の中で何かがものたりない。

日常生活で嘘をつくのと演技をするので何が違うのだろうか。

その答えはあるダンス公演の稽古でみつかった。その日は稽古、とはいいつつも稽古内容に行き詰まり感がでていた時だったので「外にでてみようと」という話になった。集合場所は名古屋市内のとある駅、メンバーは5人位。

みんなで地下鉄に乗りその中でやりたい事をしてみるのだ。

やりたい事、とは言いつつも、当たり前だが電車を借りきっているわけではなく、お客さんがたくさん乗っていたので

「乗客の方に迷惑をかけない」という制約があった。

イメージ的には電車の中に個々で静かにパフォーマンスをやっている感じだ。

『やりたい事をする』。それは"どこまで無意識にできるか"ということにつながる。

こう言うと難しく聞こえるかもしれないが、例えば美味しそうなケーキが並んでいるとついつい足を止めてしまう。

好みの異性をみると思わず目で追ってしまう。この「ついつい」「思わず」が無意識にあたる。

私にとってこれが実に難しい。

電車の中でやりたい事を探す。体から”勝手”に出てきた衝動を探す。

もうこの”探す”事、自体が意識的にやっている事になるますからね。

でも色々やってみた。携帯で写真をとったり。万歳しながら何両も歩いてみたり。

でもだめだ。全然無意識になんかできない。共演者は実に楽しそうにそれをやる隣で私は何にも見つけられない。

むしろその楽しそうにパフォーマンスをやっている共演者を観ているのが単純に楽しくて、それが無意識だった。

でやり終えて、パフォーマンスを振り返ってみて、ハッとした。

そうか、演技とは全てを意識的に自覚してやることなんだと。

舞台の上で立っている事に無駄な事なんて1つも無い、とある演出家から言われた事がある。

つま先から頭のてっぺんまで、観客に観せているものの中に無駄なことなんてひとつも無いと。

指先に一つに意識がいっていないと、もうそれは演技にはならないのだと。

映像の事はわからないけど、舞台上で演じるというのはそうなのだと思う。

難しい話をしてしまいましたね・・・

すみません。

加東サユミ

個人演劇ユニット"CaRuta"としても豊田市内市外で多くの舞台に出演。ワークショップ開催の他、演技講師、脚本・演出も手がける。昨年からは短編映画企画”さゆみ企画”代表も務める。

加東さゆみブログ → http://carutaasobi.web.fc2.com/news.html