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TAP/とよたアートプログラム

【アート・その他】HYBRID BUNKASAI Ⅱ(10/5、6、12、13)

昨年に引き続き、一度は役割を終えた旧豊田東高等学校を新たな発信の場として活用する公募型アートイベント「HYBRID BUNKASAI Ⅱ」を開催します。
今回は、豊田市美術館で行われている「クリムト展ウィーンと日本 1900」や「あいちトリエンナーレ2019」の閉幕直前、多くの人々に文化活動者や活動の内容を知ってもらうとともに、豊田ならではの文化の盛り上がりを体感していただきます。多くのみなさのご来場をお待ちしております。

公募型アートイベント「HYBRID BUNKASAI Ⅱ」参加者決定! | Recasting Club丨リキャスティング・クラブ


HYBRID BUNKASAI Ⅱ
【日時】10月5日(土)、6日(日)、12日(土)、13日(日)計4日間
いずれも10:00~17:00(12日一部公演のみ19:30)
【会場】旧豊田東高等学校(豊田市坂本町5-80)
【内容】アート作品の展示、ライブ演奏、演劇やダンスなどのパフォーマンス、トークショー、子ども向けワークショップ、雑貨や飲食物販売など
※企画数:47(市民公募41件・ゲスト6件/現時点)

主な特徴
・中学校美術部員や障がい者、プロのアーティストまで幅広い出展者が集結
・部室や武道場、グラウンドなど校内の使用可能な場所を広く活用し展開
・国内外でアート活動するアーティストユニットNadegata Instant Party(ナデガタ・インスタント・パーティー)が全体を統括
・公募型アートプロジェクト事業「とよたデカスプロジェクト」と連携した展示デカスHP→https://decasu.jp/
・あいちトリエンナーレ2019豊田会場のフィナーレイベントも同イベント内で開催

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情報元https://www.facebook.com/toyotaartproject/
※内容は変更する場合があります。必ず情報元、主催者発表をご確認ください。

 

【インタビュー・アート】とよたデカスプロジェクト2019採択事業「Teen’s WANT VOICE」「○△▢の神話」「アート維新」 インタビュー 2019.9特集

近年「アートプロジェクト」という言葉をよく聞くようになりました。現代美術用語辞典によれば、アートプロジェクトとは「作品そのものより制作のプロセスを重視したり、美術館やギャラリーから外に出て社会的な文脈でアートを捉えたり、アートを媒介に地域を活性化させようとする取り組みなどを指す」とあります。

豊田市においても、豊田市内で行うアートプロジェクトを支援する「とよたデカスプロジェクト」が2011年よりスタートしました。これは補助金支給ではなく応募・プレゼンにより採択された事業に賞金を交付するというこれまでの行政的施策とは少し違うプロジェクトです。

「地域住民や関係者との連携しながら、事業の企画立案から実施まで総合的にマネージメントできる人材の発掘と、応募者自身が実践をつみながらスキルアップを図ることを目的として」いるとよたデカスプロジェクトの2019年度採択事業より、近々で開催される事業3組にお話を伺いました。

 

Teen’s WANT VOICE ~校内放送を通じた魅力発見・発信~

Teen’s WANT プロジェクト実行委員会は10代をターゲットとしたラジオ風番組を企画・制作し、市内の学校において校内放送を実施します。

TAP:豊田で活動することについてどう考えていますか?

松永:良くも悪くも”WE LOVEとよた”が浸透してきていると思います。でもそれに市民がついてきているかと言われるとそうでは無い。それを10代を中心に見つけて繋げられたら。

義務教育が終わって、高校・大学になると、才能を生かせる人はみんな県外に行ってしまって、淘汰されてしまうんです。

豊田市で1番いい時間を過ごせる時って今は中学高校時代だと思います。レールに乗った感じの人が多いなと感じるので、それにもっとつけ加えるような事ができたらいいなと思います。

辰巳:僕も名古屋の私立高校に通っていたので、豊田市の友達がいるんですけど、彼らから聞く豊田市の像と実際に豊田市に来てみての像がだいぶ違っていて。出身が岐阜なので郊外みたいな地域が好きなので、その地域の中高生を活発化しようという活動もしています。
環境や体制が整っている豊田市だからこそ、ここから出来ることってあると思います。その活動を同じ学生として色々盛り上げて行けたらいいなと思います。

 安藤:自分の高校の周りの人は動けばすごいんだろうな、と思う人が結構いるんですが、なかなか自分からは動こうとしない。それを動かして行けたらいいなと思います。

 松永:デカスの交流会には出たりしているんですが、実際にイベントとか出てみると自分のが終わればいい、という気持ちがやっぱり強いと思うんですよ。
絵画とか全然知らない身なんですけど、実際に色々行ってみたいと思っていますし、それが僕達の目的なので。とりあえず、今は自分たちの活動をやって行ければと思います。

 辰巳:そもそもこのプロジェクトの目的が、若者が知らないことを知っていける場があると良いよねという目的なので。そのために僕達自身がが知らない事を知っていく事が1番大事なんじゃないかなと思ってます。そういう過程で色々な事をやって行けたらいいなと思います。

 TAP:今後の展望について教えてください。

 辰巳:やっぱり僕は市外に住んでいるので、どちらかというと豊田市ということでは無くなってしまうんですけど、色んな地域の人が別の地域に行く事が、その地域とまた別の地域の活性化に繋がると考えています。

なのでおいおいは、豊田市でデカスに関わってくれている人達を名古屋でなにかさせたり、名古屋の人たちを豊田市で何かをさせられたり、何かそういう関わりを、市の公共事業をつかってやったよ、っていう名目を作りたいと思っています。

 松永:豊田とは別の地域から来ている方とお話をしていて、こういう考え方もあるんだという…すぐ言葉にできるものでは無いですけど、感覚の違いなどを感じました。
そういうものってやっぱり豊田市に住んでいるだけでは分からない。
じゃあでも、どこかに行こうとかではなくて、テレビ電話もできる時代だし、そういうつながりでもいいので豊田市にいながら作れる、全然違うジャンルの人と関われるプロジェクトになればいいと思っています。

TAP:全然違うジャンルとは具体的には?

辰巳:この企画自体が、何か1つのジャンルでということではなく、どのジャンルにいても応用がきく、1つのプロジェクトだと思っています。この企画を活用して色んな人々が1つの発見みたいな事が出来ればと思います。

 

〇△▢の神話-豊田~愛知~大阪~日本- 旧豊田東高校

豊田市外の若手作家らが豊田市のリサーチを行い、8/11〜13にかけて市民との協働による大型絵画を制作する※。完成した作品は10/12〜13に展示されると共に、作品に関連した“火まつり”を行う。
TAP:豊田で活動する事についての思い、豊田市の印象を教えてください。

ー我々は大阪で2016年から活動しているんですが、地域で活動する事にシフトしていこう、という時にたまたま豊田市の公募を見つけて、応募しようと思ったのが発端です。正直 愛知とか豊田市に思いがあるということはなくて。実際に地域に入ってから色々考えようというスタンスです。
また、あいちトリエンナーレという祭典に何かコミットできないか、という理由もあります。地域に入って、色々なエッセンスを注入して、作品を作ろうというのが1番の目的ですね。
関西で活動をしてますが、色々な場所で人々に心の変化を与えられるのを楽しんでいるメンバーでもあるので、そういう目的もありますね。
TAP:実際に豊田市民と関わってみてどうですか?
ー実際来て下さる方はトリエンナーレの次いでに来た方が多い印象です。市民の方との交流はまだ薄いのでこれからですね!
TAP:豊田の固定な印象はありますか?
ーベタな所でトヨタ自動車とか笑 6月にリサーチに来させて頂いたんですが、駅周辺トヨタ車が多いな〜という感じです。
でも実は豊田市はこれだろうと思ってるものがあります…!
炮烙山(ほうろくさん←松平地区にある山らしい。)という山がありまして、頂上に21世紀の城というものがあるんです。ひまわりの形をモチーフにした塔が立ってるんですけど、ぜひ行ってください笑
実は豊田市、ひまわり、夏、太陽というエッセンスを、今回かなり意識して取り込んでいます笑
(皆さんTシャツやカバンがひまわりだったりTOYOTAに関連するパターン)
我々が豊田市に入ることによって新しい輪郭が見えて来たら嬉しいです。
​TAP:今後の展望を教えてください。

今回のワークショップで作った作品を大阪に持ち帰ります。
それを加筆して、10月のハイブリッド文化祭に展示します。
我々はパワーがあるものをモチーフに選んでいる傾向がありまして、その中のひとつに「火」があるんですが、文化祭の方で「火」を使ったパフォーマンスをやりたいなと思ってます。
実は今回の作品は2作目なんですよ。1作目は火を炊いて燃やす所までをプロジェク
トとしてやりました。ですので、今回も火祭りですとかそういった企画を文化祭で行いたいと思ってます。

 

とよたの木材・廃材でアート作品を飾る オリジナル額縁をつくろう!<アート維新>
豊田市内の山林(惣田地区)/つくラッセル 他 
私たちのプロジェクトの内容は豊田市の森について知り、その木材や廃材などを使ってオリジナル額縁をつくります。額縁に飾るのはプログラムに参加するアーティストといっしょにつくる作品。出来上がった額縁と作品は最終的に小さな展覧会で発表します!
◇1回目:9月21日(土)
豊田市惣田地区内 アーティストと森を歩く
-僕らの街の“知らない”を知るー豊田市の農山村地域(惣田地区)にて森歩き。
◇第2回目:9月29日(日)
*会場は調整中 想像力と発想力を鍛える
-知るから創造へ  “知ること”を味方につける-材料を知ったら、どんなふうに自分のつくりたいものをイメージするかについて、発想を膨らませるワークショップを行います。
◇第3回目:11月10日(日)
つくラッセル つくろう!世界にたったひとつのマイ額縁!-創造が僕らと世界を繋ぐ-
イメージした額縁をアーティストといっしょにつくり、作品を飾ります。
◇展覧会は12月を予定。詳細は鋭意企画中。
■参加費:1回目~3回目通しで2,000円(1回参加1,000円)

TAP:豊田市で活動する事に対する思いを教えてください。
ー私たちはみな、同じ会社で「自動車」という製品をつくりあげるために仕事をしています。会社の中にはさまざまな部署があり、多くの人たちが知恵や力をあわせています。また、自動車にはさまざまなパーツが使わています(小さなネジまで含むと約3万個!)。
  私たちはこうした多くの人やパーツの1つ1つがなくてはならない大切な存在だと感じますが「豊田市」という街にも同じような感覚を持っています。多様な人たちが暮らし、森や川や田んぼといった豊かな自然と先進的な都市部が共存している街・・・豊田市を構成する1つ1つが宝物だと感じます。私たちは豊田市という場所での活動を通じて、そんな宝物の魅力を改めて実感していけたらステキだなと考えています。
TAP:今後の展望(豊田市内外どちらでも)を教えてください。
ー私たちは次の2つを活動の大きな柱としています
  ①トヨタでアートを変える
  ②アートでトヨタを変える
①は、みんなが好きなことをして生きていける社会を妄想しています(笑)。
ちょっと大きな理想なのですが、人は好きなことをしているときには時間も忘れて夢中になれます。どんなに辛いことがあっても、負けずに進んで行きたいという勇気や力も湧いてくるのだと思います。
誰もが好きなことをして生きていける社会になれたら・・・(生きていけるというのは生業として食べていけるということです)。
ただ残念なことに、あまり好きなことを生業にして生きていけるケースは少ないように感じます(私たちにはそう思えました)。
そこで、例えば若手のアーティストが作品を創作してそれが生業となるような世の中になったら、社会はもっと魅力的になるかも知れない、そんな理想が実現出来たら・・・と大きな妄想をしてみたのです。
じゃあ、やってみようよ、ということでチャレンジしたのが社内で開催されたビジネスコンテストへの応募。コンテストには若手アーティストの作品購入を支援する仕組みを提案しています。
結果は・・・優勝は逃したものの、一定の評価を頂けました。
今後はこうした若手アーティストの支援をしていけたら、と考えています(今回のデカス参加プログラムにも、その想いが反映されています)。
②は、会社にアートの可能性、力を取り入れて変化の速い世の中に対応出来る人材育成をしていきたいという活動です。まだこちらはアイデア模索の段階ですが、有志にVTSというアート鑑賞メソッドの体験会を実施し、手ごたえを得ている状況です。
こちらも、今回はあまり参加出来ていないアート維新のメンバーが鋭意検討中です。
TAP:今後の具体的な活動スケジュールを教えてください。
ー今年も昨年に引き続き、社内にビジネスコンテストにエントリーする予定です。
また、今回のデカスプロジェクト参加で繋がりの出来たアーティストのみなさんと何かいっしょにアイデアを考えていけたら・・・とも考えています。
まだまだ模索中ですが、メンバーのアイデアや知恵をいろいろなみなさんとの交流の中で磨いていきたいと思います。
これからも、どうぞ私たちアート維新の活動に注目して頂けたら嬉しいです!

 

※とよたデカスプロジェクトとは豊田市の魅力を市内外へ発信するためのアートプロジェクトの企画案を募集し、実現をサポートする事業です。詳しくは

とよたデカスプロジェクト | TOYOTA DECASU PROJECT まで

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【レポート・アート】みんなで巡る、トリエンナーレ。2019.9特集

 あいちトリエンナーレ2019 豊田会場  みんなで巡る、トリエンナーレ

 

思いをつたえるのって難しい。

そんな思いに突き動かされ、TAP編集部 森は個人的出張トリエンナーレツアー「つたえる・共有する」を決行しました。

みんなの思いに寄り添いながら、地域と作品と人とを繋げたい。

そんなツアーの様子を少しだけご紹介します。

一人で巡るもいいけれど、こんな世の中だからこそ みんなで巡るトリエンナーレ

※本企画は個人的なものであり、あいちトリエンナーレ公式プログラムではありません。 また、掲載されている感想は全て個人の見解であり、公式ではありません。

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レニエール・レイバ・ノボ 《革命は抽象である》2019 豊田市美術館  

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TAP:この展示室のインスタレーションの組み合わせは何を表現していると思う?

A:私、この作品のモチーフ(写真手前)について、知っています(笑)(鑑賞者はロシア出身の女の子)

このモチーフは共産主義、庶民の象徴像の一部であり2010年からモスクワの博覧センターで展示されています。すごく大きい。

手のモチーフ(写真奥)については知りませんでした!ガガーリン像の一部なんですね。

​A:一方は庶民の象徴で、当時のソビエトの人の強さ、尊厳みたいなものを表していると思う。

もう一方はガガーリンの、というか当時のソビエトの国力の象徴ですよね。

このコラボレーションは地球上からの人の力、宇宙からの人の力を表していて、総合的に「人の強さ」を表現している空間だと感じました。

​​※作品は現在、一部を変更して展示しております(9月1日現在)

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アンナ・ヴィット《未来を開封する》2019 豊田市民ギャラリー 

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​TAP:改めて作品を見てどうでした? (鑑賞者は映像作品に 出演しています)

​B:作品を見るのは2回目ですが、1回目に見た時に気づけなかった事に気づけましたね。画面が3つあるからどうしても1つの画面ばかり集中して見てしまったり。今回、新しい発見がありました。

TAP:この作品に参加されたみなさんが、これだけで解散しちゃうのはもったいない気がするね

​B:そうですね!! トリエンナーレが終わったあとにまた参加メンバーで同じ様な事をしてみたいと思いました。

その時とは違った意見が出てくると思うし、今度はぜひ新しいメンバーも加えて!

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高嶺 格《反歌:見上げたる 空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで》2019 旧豊田東高等学校 

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C:台風の日に来るとアガる(笑) (鑑賞した日は台風10号が接近中!)

D:周りのものは風に抗えないのに、これだけは微動だにしない。 圧倒的な存在感ですね。

​C:作品の裏側も見た方がいいと思う。制作のためにこれだけの労力がいることや、文字通りバックグラウンドが知れると思う。

​(その後、作品の接合部についてディープな建築トーク)

​D:人によって、作品の裏事情を知りたくない人もいるかもしれないけど、自分はこの作品についてバックグラウンドを知っても興醒めはしないですね。

こういう場所が街にもっとあったらいい!

​TAP:何かサンクチュアリとしての役割もありそうな・・・。

​C・D:確かに!! (その後、神聖さについての議論が深まる・・・)

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 いかがでしたか?

 一人でじっくり回るも良し、友達とわいわい回るも良し。

あいちトリエンナーレ2019にはガイドボランティアさんたちもたくさんいます。みんなで話そう。トリエンナーレ

【インタビュー・演劇】あいちトリエンナーレ2019 パフォーミングアーツ 豊田公演「幸福はだれにくる」劇団うりんこ+三浦 基+クワクボリョウタ インタビュー2019.9特集

「うき目つらい目ふしあわせ」という疫病神に取り憑かれているせいで、ずっと貧乏暮らしをしている木こりと姪のナースチャ。

木こりは口減らしのために姪を金持ちの老人に嫁がせようとするが、彼女には若くて誠実な恋人の兵士がいた。 疫病神をおまけとして売り飛ばせば自分から離れることを知った木こりは、他人になすりつけることに成功する。

やがて疫病神は木こりから商人、貴族、果ては王様へと取り憑いていき王国が存亡の危機に…。そこに誠実な兵士が現れ…。

 

ロシアの児童文学作家サムイル・マルシャークの喜劇をベースに、地点の三浦基とメディアアーティストのクワクボリョウタを迎え、東海地方では知らない人がいない児童向け劇団うりんことタッグを組んだ今回の豊田公演。

混沌とする時代に「幸せは誰にくるべき?」「幸せって何?」を直球で投げつけます!

豊田公演は9月21日(土)と22日(日)

 (別途 パフォーミングアーツチケットが必要です。詳しくは

劇団うりんこ+三浦基+クワクボリョウタ『幸福はだれにくる』(A63) | あいちトリエンナーレ2019

をご確認ください。)

  三者にお話を伺いました。

 

劇団うりんこ/平松隆之(制作)

作品が豊田市で上演されることについてどうお感じになりましたか?

​-してやったり、と言う感じです。

企画が進む中でキュレーターの相馬さんが何度も豊田に足を運んで学校や地域をリサーチしていることを知りました。ただ他のアーティストは地の利もないし豊田公演は難しいだろうなと思っていました。なので自身の土地勘やこれまでの伝手を頼ってあちこち会場を探しました。

 実は1年ほど豊田に住んでいたこともあります。

フタを開けてみれば豊田で上演されるパフォーミングアーツはこの演目のみだったので、面目は果たしたなと思っています(笑)

作品を作るときに欠かせないものはなんですか?

-尊敬できる仲間、でしょうか。

制作という仕事をしていますが、画も書けないし、台詞も覚えられないし、本も書けないし、作曲も出来ないし、何にも出来ることがないんです。でも、面白い芝居を作りたい。

なので、これは!と思う人には会いに行ってお願いすることにしています。

子供の頃はどんな子でしたか?

-極めて平均的な子供でした。通知表もほぼオール3でしたし。

クラスメイトの男子の顔は大抵覚えてるんだけど女子は今、半分も思い出せません。と言うことは僕も周りから見ればそんな存在だったと思います。あ、ファミコンが家になかったのでよく友達の家を渡り歩きました(笑)

今回、共同制作された感想と、現場で「これは化学反応が起こったな」と感じた瞬間がありましたら教えてください。

-まさにクワクボリョウタさんとの出会いです。実は企画を提案したときから骨子はうりんこの中でほぼ固まっていました。そんな中、相馬さんが紹介してくれたのがクワクボさんでした。クワクボさんはいわゆるメディアアート、デジタルアート系の人だと思うのですが、その表現が非常にアナログ、でもめっちゃ計算高い方でした。

例えば、整備された庭園を見て美しいと思うのは、実はそう思うように設計されてるからなんです。でも鑑賞者はそうは思わない。

「俺の美意識高いな」と思うわけです(笑)

クワクボさんはどこの家庭にもあるような雑貨を使って、あっと驚く表現を舞台に持ち込んでくれました。実は今回のお芝居はど真ん中に舞台がありそれを囲むように客席があります。

土俵やプロレスのリングを思ってください。

そしてさらに客席ごとぐるりと平面が取り囲む構造になっています。

最初YouTube(2D)で見たときは「なるほど、こういう感じね」と思いましたが、これが劇場空間(3D)になるとその没入感がスゴいんです。

これはヤバい!!と思いました。快感と言ってもイイ。

実は既に試演会を終えているのですが、(※インタビューは8月9日に行われました。)観ている子どもたちが「わ、なになに、すげー、これ」と感嘆を漏らしていたのが印象的でした。

何が起きているかは・・・ぜひ劇場で体感してください!!

  

クワクボリョウタ

9月に豊田市でも公演をされますが、その時舞台上のインスタレーションの配置は変わるんですか?

-基本的には同じものをやろうとしているんですけれども、おそらくまた空間が変わってくるので、実際には現場で微調整は必要になりますね。ただ、目指すところは今のところ同じものだと心得てます。

でも、三浦さんがなんか言い出すかもしれない(笑)。

今回もやっぱり現場入ったら色々違っていて。調整して、道具などを作り直したりしました。

化学反応的に楽しむ要素もあるという?

-そうですね。僕は図面見てあんまり想像力が働かないんです。

実際に現場見て黒みと白み感覚とか全然違ったりするので。大体いつも現物を見ながらの調整です。

今日(※取材は8月18日に行われました。)も、ちょっとヒヤヒヤしたんですけど役者さんの動きで(セットの都合上)今行くと危ないんじゃないのか?!みたいなこともあり、システム上怖いので、そういう所も見ながらちょっと色々変えるかもしれないです。

 

三浦 基

作品が豊田市で上演されることについてどうお感じになりましたか?

-愛知県では、これまで名古屋でしか上演したことがなかったので、大変に楽しみです。親子で楽しめる作品になっているので、家族大勢で見て盛り上がって欲しいです。みんなで感想を言い合ってもらいたいです。

作品を作るときに欠かせないものはなんですか?

-お客さんが暇したり飽きないようにといつも心がけています。 お客さんの笑いは、欠かせないものなので、みんなで笑ってもらえるように真面目におかしなことを考えてます。

子供の頃はどんなお子さんでしたか?

-食いしん坊でした。食べ過ぎだといつも怒られていました。甲子園をテレビで見るのが好きでした。でも野球選手になりたいとは思っていたわけではありませんでした。とにかくいつもなんか食べていました。

今回、共同制作された感想と、現場で「これは化学反応が起こったな」と感じた瞬間がありましたら教えてください。

-舞台では常に影が動いています。いろんなところに影に動いています。 光の玉が走っていて、とても幻想的なシーンを創ることができました。

 

作品解説・作家解説はこちらをご覧ください

劇団うりんこ+三浦基+クワクボリョウタ『幸福はだれにくる』(A63) | あいちトリエンナーレ2019

 

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【コラム・演劇】豊田現在演劇マップ/清水雅人 2019.9特集

今月(2019.9)の特集テーマは「豊田の演劇」。「この人」対談やコラムで豊田の演劇界は現在活況になりつつあるとの評価は誰もが認めるところだろう。

ということで、現在豊田市内で継続的な活動や定期的な公演を行っている劇団、演劇グループなどを紹介したい。観劇、演劇に興味のある方の参加等の参考にしていただきたい。

豊田で現在活動しているもっとも老舗の劇団は、劇団ドラマスタジオである。
2000年、長年豊田の演劇界をけん引してきた岡田隆弘(演出家)と柴田槇子(役者)を中心に、当時毎年開催されていたとよた市民創作劇(1992年~2001年 豊田市文化協会~豊田市文化振興財団主管)の常連メンバーにより劇団設立された。
現在も春秋の年2回公演を継続しており、今年(2019年)6月には25回公演を上演した。
基本は既発表の演劇脚本による公演を行っている。
サイト https://gdramastudio.wixsite.com/dramastudio
フェイスブックページ https://www.facebook.com/dramastudio.g/

 

いや、活動歴が長いのはこちら、劇団・笑劇派
1998年、南平晃良を中心に設立。長年、お笑い劇団として喜劇や啓発劇を上演。本公演のほか豊田市内~全国の学校や公共施設等での啓発劇、豊田市平戸橋町に構える事務所での公演など精力的に活動している。テレビやラジオ出演も多数。設立当時より地元拠点、お笑い劇をブレることなく続けるパイオニアだ。
サイト https://www.showgekiha.com/

 

続いて紹介するのは、とよた演劇アカデミー(2008年~2017年 豊田市文化振興財団主管)修了生を中心に設立された劇団。
劇団カレイドスコープ
演劇アカデミー1期生を中心に設立 喜楽亭(豊田産業文化センター敷地内古民家)にて年1回本公演上演(2016年~)
他に交流館や施設等での出張公演も行っている。
フェイスブックページ https://www.facebook.com/KIRAKUTAI.LOVE/
ツイッター https://twitter.com/KALEIDOSCOPE_tc
ひつじの森のよつば村
演劇アカデミー4期生を中心に設立
フェイスブックページ https://www.facebook.com/hitujinomorinoyotubamura/
劇団栞ちゃんのしおり
演劇アカデミー9期生を中心に設立 HYBRID BUNKASAIでの公演、TPAC(とよた大衆芸術センター)での公演等精力的に活動中
サイト https://siorisiori.jimdo.com/
ツイッター https://twitter.com/toyota_engeki_9
TEAM 10+(ちーむてんぷら)
演劇アカデミー10期生を中心に設立 第3回とよた演劇祭にて短編上映
ツイッター https://twitter.com/TEAM_10pura

 

とよた演劇アカデミー修了生の内の有志を中心に実行委員会形式とよた演劇祭が2016年より毎年開催されている。
第4回となる今年は11/30、12/1に「景を切りとる舞台」と題して応募出演者みんなで舞台を創作する公演になるようだ(募集は終了)。
サイト https://toyotaengekisai.jimdo.com/
フェイスブックページ https://www.facebook.com/toyotaengekisai/

 

古場ペンチ主宰による演劇ユニットPinch番地も目が離せない。豊田にとどまらず名古屋はじめとする市外公演も積極的に行い、昨年(2018年)名古屋のナビロフトにて「カノジョまでの距離、そのあらゆる線分の長さ」を上演、古場ペンチ個人の市外劇団への客演も多数。古場ペンチは前述のとよた演劇祭の運営、演出等も行っている。
サイト https://pinchi-banchi.tumblr.com/
ツイッター https://twitter.com/kobanu

 

とよた演劇アカデミーの後継事業としてとよた演劇ファクトリー豊田市文化振興財団)が2018年より行われている(本年度2期生修習中)。名古屋の実力派劇団あおきりみかん主宰の鹿目由紀氏をプログラムディレクターに迎え、演出コース・役者コースに分かれ1年を通して演劇に関する講義と舞台上演を行っている。

 

小学4年生~中学3年生が参加、名古屋の実力派劇団あおきりみかん主催の鹿目由紀氏が指導・監修するとよたこども創造劇場豊田市文化振興財団主管)は今年で9年目(2011年~)となる。毎年度当初に参加者を募集し、11月に公演を行っている。今年は11月3日に豊田市民文化会館にて開催予定。

 

今月の動画コーナー「この人」でも多く語ってもらっている石黒秀和氏は、近年は様々な場所/スペースでの公演、気軽に参加できる演劇の試行としての朗読劇などのプロデュ―ス/作演出を精力的に行っている。
今年10/13にはHYBRID BUNKASAIⅡにて群読劇 ギリシャ悲劇「オイディプス王」をプロデュ―ス/作演出する。

Recasting Club丨リキャスティング・クラブ

 

とよた演劇協会 とよたの演劇人のサポート、演劇公演支援、情報共有共同体等として、石黒秀和を会長とし2017年設立。随時会員募集中
サイト https://toyota-engeki.jimdo.com/

 

他にも、小原をはじめ農村舞台等で公演する地歌舞伎団体や、各地域・交流館等を拠点に活動する人形劇団・演劇サークル等も存在するが今回はそこまでカバーしていないので、ご了承ください。


清水雅人(しみずまさと)
映像作家・プロデュ―サ―。豊田市出身・在住。豊田市役所職員時代に市役所内に映画クラブを結成し、30歳の頃より映画製作を開始。映画製作団体M.I.F.設立、小坂本町一丁目映画祭主宰。2013年市役所を退職、独立し、映像制作、イベント企画、豊田ご当地アイドルStar☆T(スタート)プロデュースなどを手掛ける。豊田星プロ代表。映画「星めぐりの町」を実現する会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員。

 

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【コラム・演劇】豊田の演劇、過去 今 未来/石黒秀和 2019.9特集

豊田の演劇史については、TAP(Toyota Art Program)のサイト(

https://tap.hatenablog.jp/entry/2019/09/25/105557 )に、2016年7月に岡田隆弘氏に聞いた映像とコラムが載っているので、興味のある方はそちらをご覧いただくとして、2003年と2006年に全市規模で行った「とよた市民野外劇」以降、豊田の演劇事情はそれなりに活況ではないかと思っている。

しかしなにをもって活況というかは、人それぞれだし、なによりもともと小さな世界の話。客観的な判断はなかなか難しい。それでも、2008年に始まった「とよた演劇アカデミー」とそれに続く「とよた演劇ファクトリー」、また2011年に始まった「とよたこども創造劇場」の一連の人材育成事業により、多くの演劇人材が輩出されたのは確かであり、その中から劇団カレイドスコープをはじめ多くの劇団が誕生し、有志による自主企画としての「短編演劇フェスティバルT-1」や「とよた演劇祭」が生まれ、2017年には「とよた演劇協会」が設立された。市内で演劇に関する公演を観られる機会は10年前の倍近くになったのではないか。

 

毎日市内のどこかで演劇の稽古が行われている。

とよた演劇ファクトリーやとよたこども創造劇場の指導者でもある鹿目由紀氏の存在も大きい。いい指導者のもとではいい選手が育つ。スポーツに限ったことではない。

鹿目氏は、昨年から役者だけではなく演出家の育成にも乗り出し、また、子どもを対象にした戯曲講座も開催してくれている。

もちろん、豊田の演劇事情はそれに限ったものではない。

山間部を中心に地歌舞伎なども盛んなため、あえてここは現代演劇に絞って話をするが、豊田市は中学校区に一つ交流館があり、そこでは子育てや高齢者の生きがいづくり、あるいは防犯などをテーマにした自主サークル的な劇団が活動している。

 

また、おやこ劇場や文化振興財団主催の興行的な公演も年間を通して上演されているし、近年は名古屋の人気劇団「ハラプロジェクト」や「劇団あおきりみかん」の公演もホールだけではなく農村舞台などでも行われている。

あいちトリエンナーレ2019の公式プログラムとして、豊田市民文化会館大ホールの舞台上舞台で上演される「幸福はだれにくる」は、現代演劇の魅力をさらに多くの人に届けてくれるだろう。

 

さて、ここまで書くとなんとも豊田の演劇事情は未来に向け明るいことばかりのようだが、もちろんそんなわけはなく、見方考え方で一変する。例えばこの10年で市内に劇団は確かにたくさん生まれたが、では定期公演を行っている劇団は幾つあるかと問われれば、約20年前、「豊田市民創作劇場」から生まれた「劇団ドラマスタジオ」ただ一つである。

そもそも豊田の演劇は、このドラマスタジオの主宰でもある岡田隆弘氏がこの50年以上をたった一人で背負ってきたと言っても過言ではない。演劇とは、かくも続けるのが難しいものなのである。

また演劇の質もよく問われる。外からわざわざ観に来たくなるような作品や劇団が豊田にはないとは昔も今も言われることだが、それは集客の問題にもつながっている。いまだ集客のほとんどは劇団員の手売りによる。それでは劇団員の負担も増すし、なにより観客、創り手双方の向上につながらない。観客の批評眼が創り手や作品を育て、それがまた観客を育てる。それが今はほとんどない。

そして、劇場の問題である。この街には、小劇場がない。

今更ハードかと言われそうだが、演劇(あるいは舞台芸術)の振興のためには小劇場の存在は不可欠だと思っている。立派なものは必要ない。小さな空き倉庫をブラックボックスとして改装するだけでいいのだが……。

 

最後に、私事だが、今年、演劇部をつくった。まったく私的な、大人の部活動である。とりあえず40歳以上の、おっさんばかり7名ほどが月1回程度平日夜に活動している。楽しみながら、いかに社会人として持続可能な演劇を続けるか、それも高い質を目指して。そんな新たな挑戦の場だとも思っている。

 

石黒秀和(いしぐろひでかず)
脚本家・演出家。豊田市出身。高校卒業後、富良野塾にて倉本聰氏に師事。豊田に帰郷後、豊田市民創作劇場、豊田市民野外劇等の作・演出、とよた演劇アカデミー発起人(現アドバイザー)ほか、多数の事業・演劇作演出を手掛ける。TOCToyota Original Company)代表、とよた演劇協会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員長。

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【「この人」対談】「豊田の演劇~石黒氏と語る現在豊田演劇史、豊田の演劇のこれから~」ゲスト/石黒秀和氏(劇作家/演出家 とよた演劇協会会長)2019.9特集

TAPポータルサイトでは、毎月1つテーマを設定して、「この人」対談、インタビュー、レポート、コラムなどを集中して掲載していきます。
2019年9月のテーマは「とよたの演劇」。インタビューやコラムなど様々なコンテンツを掲載します。

特集のメインコンテンツは、TAPの先駆事業<TAG>からの継承企画、石黒秀和・清水雅人がとよたの文化芸術に関するキーマンと対談する「この人」です。
様々なお話を伺った模様を動画撮影、基本的にノーカットで公開します。
また、対談を要約した文字コンテンツも掲載します。

今月の「この人」はいつもはホストを務める、劇作家/演出家の石黒秀和氏をゲストに迎え、石黒氏のこれまでの豊田演劇界との関わりと、これからの展望・課題などについてなどのお話を伺いました。
また、冒頭にあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」中止問題についても議論しています。

文字コンテンツでは掲載しきれないお話もたくさんしています、2時間弱に及ぶ対談ですが、どうぞ動画もご覧ください!

「豊田の演劇~石黒氏と語る現在豊田演劇史、豊田の演劇のこれから~」ゲスト/石黒秀和氏(劇作家/演出家 とよた演劇協会会長)2019.9特集

youtu.be

※動画はYouTubeにて公開されています。無料で視聴いただけます。

 

対談の要約文字コンテンツ(文責:清水雅人)

2時間弱の映像を見る時間を割くのが難しい方のために、「この人」対談の文字起こし(要約版)をお送りします。
今月のテーマは「豊田の演劇」。開催中のあいちトリエンナーレのテーマが演劇/パフォーミングアーツであり、TAP MAGAZINEとも連携して、演劇を中心に取り上げてますが、「この人」対談では、いつもは「この人」対談のホストでありつつ、長年豊田の演劇界で中心的な役割を果たしてきた石黒秀和氏をゲストに迎え、豊田の演劇のこれまでとこれからのお話を聞きました。

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止問題と表現の自由について
本題に入る前に、トリエンナーレ開幕直後にニュース等をにぎわせた「表現の不自由展」中止の問題についてそれぞれ意見を述べた。
石黒氏は、自分は演劇に長く関わっており、文化とか芸術という切り口で活動している身としては、はやり今回の中止は残念だなと思っている。表現の自由の問題でもあるし、もっと言えば憲法も絡んでくる問題だが、一方、表現の自由について実はなかなか一般の人に危機感が届きづらいな…と感じたことも確かだ、と語る。
清水は、表現の自由報道の自由は民主国家が保証する自由の中の一丁目一番地と言われているわけだが(その自由がなければ権力がそもそも何をしているかがわからなくなる、不正と指摘することすらできなくなるから)、そういう表現の自由とは何かという議論をスルーして、安心安全の問題だけでお茶を濁してしまっている印象がある。マスメディアも腰が引けていて「中止すべきじゃなかった」「中止もしょうがない」の両論を街角インタビューなどで併記して終わらせていたところが多かったように思う。表現の自由と権力の関わり方は本当は非常にセンシティブな問題であって、例えばこのとよたアートプログラムについても、前身の<TAG>は行政と距離を置いてやろうというのが当初のコンセプトだったくらいで、豊田市の事業となるとよたアートプログラムに継承するのはそれなりの決断だったと思っており、例えばこの動画についてでも行政より「そういうことは言わないで欲しい」という圧力がかかる可能性は常にあるわけで(実際はないですが)、表現の自由とは実は身近な問題でもあり、深い議論はいくらでもできるはずだが、それを避けてしまっているなぁと。某市長の発言、こんなものに補助金は出せないというのは明らかに表現の自由を侵していているのだがそれをノーと言えない、そもそも我々市民が表現の自由とは何かをよく理解してない、表現の自由という言葉は社会の時間に覚えたけれども、それがどういうことなのかという教育も受けてきていないのではということも改めて感じた。
石黒氏は、日本は民主国家であり立憲国家だと、特に戦後は社会もそれを基本に形作られてきたと思っていたけれども、70年以上経っても実は変わってないということが図らずも露呈したなぁと、驚きというか、自分たちは日本が民主国家だと思ってきたし、そうではない国を批判したりしてきたけれど、まだこの国もそこまで成熟してないんだなと感じた、と語る。ただし、表現の自由についてのみで語ってもよくないと思うし、表現の自由だからといってなんでも許されるわけではないのは確かであって、いろんな切り口の議論が必要だと思うし、少なくとも中止にする前にそういう議論、ディスカッションが必要だったと思う。が行政の立場に立てば今回の対応はいたしかたないとも思う…。
(以下もっと話していますが省略します、詳しくは映像をご覧ください)
いずれにせよ、うやむやにして終わらせずに今回のことを機にいろんな場所で、いろんな場面で議論して欲しいし、表現の自由の問題を考えて欲しいと思う。

石黒氏のこれまで① シナリオライター志望~富良野塾
それでは本題に戻って。本コーナーの恒例だが、まずはゲストのこれまでの軌跡を聞いた。
石黒氏は、豊田にて1969年生まれ(筆者と同い年である)、最初はシナリオライターになりたかったとのこと。きっかけで一番影響を受けたのはテレビドラマの「北の国から」だった。ただし、連続ドラマの時ではなく、スペシャルの「北の国から’87初恋」を観てだった。このドラマは「脚本倉本聰」がドーンと出ていて、当時脚本家の名前が大きく出るドラマを見たことがなかったので、倉本聰っていったい何者?と思った記憶がある。それで倉本聰氏のシナリオ集を読んだところ、そこにはセリフだけでなく、演者の動き等を指示するト書きやストーリーまでも綿密に書かれていて、言葉や物語を作り出しているのは脚本家なんだと思った。
それ以前は監督というかアニメーターになりたくて、そのきっかけは宮崎駿が好きで、当時一番好きだったのが「未来少年コナン」だったが、他にも「アルプスの少女ハイジ」や「ルパン三世」など面白いと思うテレビアニメには必ず宮崎駿の名前があり、そして「風の谷のナウシカ」の大ヒットがあった。だから、アニメーターになりたいというより宮崎駿になりたいと思っていた。しかし、宮崎駿になるには絵が描けないといけない、でも自分は絵は描けない…(笑)、なら監督になろう、スピルバーグ映画も好きだったので、映画監督になろうと思っていた。そこで倉本聰との出会いがあった。
倉本聰氏はラジオの世界からテレビの創成期を支えた脚本家で「前略、おふくろ様」など数々のテレビドラマ・映画の脚本を手掛けていたが、いろんなトラブルもあり東京を去って北海道(当初は札幌、そして富良野)を拠点に活動を始める。「北の国から」はそうした経緯から生まれたドラマで、これも大ヒットした。(倉本聰は現在放映中のテレビ朝日系昼帯ドラマ「やすらぎの刻〜道」の脚本も手掛けている)
高校2年生の終わりに「北の国から’87初恋」を観て心酔…後にも先にも心酔と言えるのはこの時だけだと思う。それまで進路は芸術系の大学又は映画の専門学校を考えていたが、倉本聰氏の本を読みまくり、富良野富良野塾という私塾を始めたらしい、そこは授業料もいらない、自給自足で昼間は畑や牧場で働き、夜にシナリオや演劇の勉強を共同生活しながらやっていくというようなことが書いてあって、授業料はなし、倉本聰に直接脚本を学べる、ドラマで観たあのきれいな富良野に行ける、もしかしたら出演者にも会えるかもしれない、もう行くしかない!と思って、でも住所もわからないので、本に書いてあった“富良野から車で30分・・・の富良野塾宛”と封筒に書いて、「富良野塾に入りたい」って手紙を出した(笑)。しばらく返事はなかったが、忘れた頃に返事が来て、入塾試験があるのでそれを受けなさい、と。それで試験を2回受けて合格し、入塾した。
(その辺り面白い話を色々してますが省略します、映像をご覧ください)
富良野塾での生活は、昼間は富良野塾周辺の農家や牧場にアルバイトに行ってお金を稼ぎ、夜に稽古やシナリオの勉強をした。夏場は倉本聰氏の講義は週に1~2回あった。農閑期になると雪に埋もれてしまうので、みんなで貯めたお金で芝居を作った。
富良野塾は2年間で、修了後は多くのシナリオコースの先輩はテレビ局等に入っていた。しかし、石黒氏は別にテレビ局に入りたくて富良野塾に行ったわけではないので、終了後のことはあまり考えてなかった。そんな中先輩でカナダに1年ワーキングホリデーを使って留学していた人がいて、また富良野塾がカナダ・ニューヨーク公演をすることも決まっていて、社会勉強も兼ねて行ってこいと言われ行くとこになった。当時倉本聰氏も、これからは地方と世界を同時に見ていく時代になる、東京だけを目指す時代は終わるというようなことも言っていたと思う。
1年間カナダで生活し、1年が終わるところで富良野塾のカナダ・ニューヨーク公演に同行して裏方のお手伝いをして、一緒に日本に帰ってきた。

石黒氏のこれまで② とよた市民創作劇との関わり
東京に出て来いよと言ってくれる先輩もいて、だた元手がないので、地元でアルバイトしてお金を貯めたら上京しようと思っていた。
ちょうどその頃、とよた市民創作劇というのがあると聞いて、妹と観に行った。それが市民創作劇の1回目だった(1992年)。その時は「豊田でもこういうのやってるんだ~」くらいだった。富良野塾の全国公演の照明スタッフを翌年やることになり、上京するのを保留して地元にいたところ、どうも妹が市民創作劇のアンケートに「うちの兄は富良野塾でシナリオを学んでいて~」みたいなことを書いたようで(笑)、当時の文化協会(現文化振興財団)から連絡があり、市民創作劇のシナリオを公募しているが、なかなか集まらないので、シナリオ書いてみないかと。それで「まあ、いいですよ」と。来年は全国公演に行ってしまうので書くだけならやれるなと。
でも、どうせなら全国公演に行くまででいいので演出もやらないか、出演者も出そろっているので、と言われて、それならと公演は11月だったのでまだ先だったけど、春に2か月くらいで一応芝居を完成させて、富良野塾の全国公演に同行した。それが市民創作劇の第2回で、公演は観ていないが、冬に帰ってきたら評判がよかったと、ついては次もやらないかと誘われ、公演でのお客さんの反応も観てないし、もう少し上京を遅らせてもう1回だけやりましょうとなり、そこからズルズルと…(笑)、もう1年もう1年という感じでずっと豊田にいることになって(笑)。
もともと映像のシナリオライター志望だったわけだが、富良野塾で舞台公演をしていて始めて舞台と出会っていたし、また富良野塾での具体的な講義の1つに、倉本聰氏から“笑い”とか“怒り”というようなテーマが出されて5分程度のシナリオを書き、それを演出して観てもらい、色々指導を仰ぐということもやっていたので、自然に演出も学んでいた。
その頃はもう上京するつもりはなかったのか?の問いに石黒氏は、当時Vシネマ全盛でそのシナリオの仕事や、構成の仕事もちょくちょく入っていて東京に行かなくてもやれなくはないな、市民創作劇で舞台を作り上げていくのも楽しいし、両立してやっていけるかなという思いがあったと思う、やっぱり東京に行かねばとか、地元に腰を据えてとかをどちらかに決めるという感じではなかったと思う、と語る。

石黒氏のこれまで③ 豊田に腰を据えて
とよた市民創作劇は10年を区切りに終了したが(2001年)、石黒氏も市民創作劇に長年関わってきたことで人間関係や悩みの相談を受けることも多くなってしまい、純粋に芝居作りがしたいという想いもあった。その頃には結婚もしたということもあり、上京して…という気持ちはもうなかったと思うが、青少年活動協会にすでに入っていたので、まちづくり、地域振興等にも少しずつ関わってきていて、豊田をフィールドに、芝居だけでなく若い人をいかに楽しませるか盛り上げるか、という視点を持ちつつあったと思う。
その後2003年と2006年にとよた市民野外劇が豊田スタジアムで開催された。
(市民野外劇についても省略します、映像をご覧ください)

とよた市民野外劇の時に“市民”と言いながら裏方で動いているのは市や文化振興財団の職員で、市民の色んな会が参加していたが口は出すが動かない状況で、一体何なんだと、やっぱりみんなで舞台作りをしたい、そのためには人材の育成が必要だと、市民創作劇の時にはそういう視点はなかったが、そういう想いからとよた演劇アカデミーの発想に至った。
演劇アカデミーとは銘打っているが、演劇に限定せずイベントを支える人材、公演をプロデュースできる人材、制作スタッフを育成していきたい、ここで富良野塾での経験も生かして、1年の内の前半は舞台芸術に関するいろんな講師の講義を聞き、後半で芝居を1本作っていくというスタイルで2008年にスタートした(2008年~2017年まで10期続いて終了)。
石黒氏は、それまで市民創作劇も野外劇も依頼があって受けたもので、いわば頼まれ仕事だったが、演劇アカデミーは初めて自分から各方面に相談して、自分から始めたことだったと語る。

豊田の演劇これまでの10年とこれからの10年
やっと本題になるが(笑)、これまでの2010年代~現在までのこれからの10年について聞いた。
とよた演劇アカデミーについては、プロデュ―サー的人材、つまり自分の好きな芝居を作るだけでなく、豊田の文化芸術という視点も持ちながらキーマンになっていく人材は、10年で1人か2人出れば大成功だと思って始めた。演劇アカデミー修了生は10年で200人以上いるが、その中からそういう人材は1人2人よりは多く出てきたと思っている。それが多いと捉えるか少ないと捉えるかは人それぞれだと思うし、また、もう少し技術的な専門性を持った人材の育成も必要だったのではと言われれば確かにそうだとも言わざるを得ないが、1つの目的は達成したと思っている。
また、2017年に設立されたとよた演劇協会についても聞いた。
とよた演劇アカデミーと並行して、T-1演劇バトルを5年やり、それを引き継いでとよた演劇祭も立ち上がった。主に演劇アカデミーの修了生たち、アカデミーから各期の修了生で立ち上げた劇団の活躍の場として作ったものだが、どうして横のつながりが薄くなっていくなと、それと豊田の演劇人材はアカデミー修了生だけではないので、外に開かれた組織も必要だと、そういう観点でゆるやかな横のつながりを持つ、会費も取らず、主催事業をするわけでない組織としてとよた演劇協会を立ち上げた、とのこと。

とよた演劇アカデミーを10年やり(その後とよた演劇ファクトリーが継承中)、その中でT-1演劇バトル~とよた演劇祭が立ち上がり継続していて、また演劇人材のゆるやかな共同体として、及び演劇アカデミー人材以外の人も関われる窓口としてとよた演劇協会を立ち上げた、という10年であり、10年前の狙い以上の成果があったと言っていいと思う。
では、これからの10年を考えた場合、石黒氏は、でもすべてが順調でこの先も大丈夫だとはいえない、と言う。演劇は続けていくことが大変なジャンルでもある。舞台を打つには長い稽古期間が必要だし、制作的な労力もかかる。その中で例えば仕事や結婚などを通して演劇を続けていくのは確かに難しい。この10年で出てきた人材がそれらを乗り越えてキーマンであり続けることができるか決して楽観視はできないと思っているが、具体的な名前は言わないが片手以上のキーマンになっていく人材が現時点でもいると思っているので、頑張っていって欲しい。
一方で、才能がある人が、燃え尽きちゃうとか、疲れちゃって5年くらいで演劇から離れていくのはさみしいし、なんとかならないかという想いは個人的にもある。そういう中で、美術館での群読劇やなるべく少ない稽古で参加できる市民劇等の機会を作れないかと自分としては模索している段階でもある。
そういう流れでいうと、やはり“場”が必要というところに行きつく。小劇場が1つでもあると、爆発的とは言わないまでも、盛り上がりが作られていくと思うし、そこを拠点に活動を続けていける団体、個人が必ず現れてくると思っている。
ホールでなくていい、空間があればいい、キャパ50~100で十分だし、若い人たちが大きなお金がなくても公演が打てる“場”がやっぱり欲しいなと。
今の時代においては、それを行政に作れ作れと言っているだけではなく、民間の我々が場所探しからやっていかなくてはならないとも思っている。立派なものを作る必要はない、お金のかからない、管理のしやすいスペースでいいので作っていく必要があると。
音楽テーマの時にも言ったが、トップクラスの才能を持たなくても、しっかりと人々を楽しませるパフォーマンスができる人材が、食べられないからいう理由で辞めていってしまうのはやはりさみしいし、地方都市で小さなスペースでも生の演奏、生の演劇が気軽に観られて、演者も大金ではなくても続けていくだけの収入を得られてという幸せな循環ができていいと思うし、場は必要だと思う。
石黒氏も、市民の力で場や人を作っていき、行政もそれを支援していくという形を作りあげられるかというのがこれからの課題だと思う、と語る。
そのためには多くの人を楽しませることのできるコンテンツ作りを維持していかなくてはならないし、全国から豊田に芝居を見に来る状況にもなって欲しいと思うし、しかし自分も含めてそこまでの覚悟がまだないのも確かで、そういう覚悟を持った人材がこれから出てきて欲しい、でもそういうことを言えるところにはきている(10年前にそんなことを言ってもただの絵空事だった)、そういうことを考えられるところには来ているとも思う。

演劇とまちづくりについて
演劇・映像・音楽の中で考えると演劇が一番まちづくりというか公共/行政との親和性が強い印象があるが、その辺りについて石黒氏に聞いた。
石黒氏は、我々は芝居を作る時に「観る人を楽しませたい、感動させてたい」という想いで作っているが、それはまちづくりも一緒で、まちに訪れた人やそこで生活する人を楽しませたいという想いが基本だと思う、そういう意味で演劇とまちづくりは似ているし、自分もそういう視点でやってきた、と語る。
確かに、音楽については日本の伝統的な音楽やクラシック等とポップス/ロックで大きな断絶あり、ポップス/ロックはビジネスとして成立してきたということもあって公共との関わりは少なかったと思うし、映画も遅れてきた芸術でビジネスとして観るものであった時代が長ったが最近になって映画によるまちづくりという視点が入ってきた段階と比べると、演劇は遡れば村芝居や地歌舞伎の頃からまち、村、土地と密接にかかわってきた歴史が連綿とあり、西洋演劇が入ってきても伝統的な部分も相当残ってきたと思う。我々のひと世代上の人の中には、演劇は反体制でなくてはならないという人もいると思うが、もちろんそういう側面もあるが、長い歴史から見れば一時期のことなのかなと思う。
石黒氏は、現在豊田では、(合併地区ではあるが)農村舞台や地歌舞伎の活動、交流館単位では芝居や人形劇、朗読劇等のサークルも多数あり、演劇は市民にとっても身近なものになってきているのでは、と語る。
全国で考えれば、平田オリザ氏の存在は大きいのではないか、演劇と国づくり、まちづくり、場づくりを絡めていく、それまでは演劇好きが自分の好きなことをやっているだけという時代から、演劇がまちづくり、人づくりに繋がっていくということを理論づけ、発信していくということを平田氏が始め、我々全国の演劇人も共鳴していくという過程があったと思う。

石黒氏のこれから
最後に石黒氏個人のこれからについても聞いた。
ここでも言ったように、人を楽しませたいと思ってシナリオライターを目指したんであって、まちづくりをしたくて始めたわけではないので、とにかくまず楽しもうということで、とよた演劇部を作った、とのこと。自称40歳以上のおじさんばかり7人で、まずは自分たちが楽しむこと、結果的に作品ができればいいし、できなくてもいいくらいのスタンスで、まさに演劇を楽しむ部活動として始めた。これは仕事や家庭を持ちながら演劇も続けていくという実験の場でもあると思っている。
50代に突入していく中で、活動の終わり方というのも考えるようになってきた。演劇作品を作るには時間がかかるものだし、あと何本作れるのかということを考えると1本1本の重みも出てくる。
やっといろんなところに対してものが言える立場、年代になってきたとも思うし、環境や場を作っていく責任もあると思っている。
まさに、これからの10年がこれまでの活動も含めた真価を問われる10年になると思っている。

(以下公演イベント紹介していますが省略します)
紹介している公演・演劇
第4回とよた演劇祭、ハイブリッドブンカサイⅡ、あいちトリエンナーレ ほか

 
ゲストプロフィール:
石黒秀和(いしぐろひでかず)
脚本家・演出家。豊田市出身。高校卒業後、富良野塾にて倉本聰氏に師事。豊田に帰郷後、豊田市民創作劇場、豊田市民野外劇等の作・演出、とよた演劇アカデミー発起人(現アドバイザー)ほか、多数の事業・演劇作演出を手掛ける。TOCToyota Original Company)代表、とよた演劇協会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員長。

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ホストプロフィール:
清水雅人(しみずまさと)
映像作家・プロデュ―サ―。豊田市出身・在住。豊田市役所職員時代に市役所内に映画クラブを結成し、30歳の頃より映画製作を開始。映画製作団体M.I.F.設立、小坂本町一丁目映画祭主宰。2013年市役所を退職、独立し、映像制作、イベント企画、豊田ご当地アイドルStar☆T(スタート)プロデュースなどを手掛ける。豊田星プロ代表。映画「星めぐりの町」を実現する会会長、とよた市民アートプロジェクト推進協議会委員。

豊田ご当地アイドルStar☆Tオフィシャルサイト

森かん奈(もりかんな)

今年6月~11月まで月刊発行中のフリーペーパーTAP MAGAZENE編集スタッフ。9月号では「みんなで巡る、トリエンナーレ」を構成。

関連動画 ※TAPの先駆事業<TAG>時代の対談映像です
「豊田の演劇 歴史と展望」(ゲスト岡田隆弘氏)

youtu.be

<TAG>Toyota Art Gene:【コラム】<TAG>通信[映像版]第1回「豊田の演劇 歴史と展望/ゲスト岡田隆弘氏」要約と所感 清水雅人

 

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